tucchie's Taiko Strange Story
つっちーの「太鼓奇談」第四回|Speed King
※この記事は2014年7月10日発行「JPC 141号」に掲載されたものです。
JPC会報をお読みの皆様、こんにちは。 ドラムテックのつっちーです。何故かまだ連載依頼が来ると言う摩訶不思議な 状態ですw
ならばまた好き勝手書かせて頂きますね。
今回はペダルのお話でもしてみようかなと。
なんで普段与太話ばかりでドラムのハナシなんてそんなにしたがらないヤツが ここへ来ていきなりペダルかと言いますと、僕が子供の頃から愛用しているラ ディックのスピードキングが生産終了と言う事で、コレはちょっと書いておかないといけないかなと。
ドラマーなら誰でも一度はその名前を聞いたことがある、楽器屋さんの店頭で「お?コレがあのスピードキングか」と言う方もいらっしゃるでしょうし、先輩ドラマーの多くはこのペダルが憧れで、初任給で買いましたなんて方も居るかもしれません。
Ludwig Twin Spring Speed King Pedal(以下スピキン)がこの世に産声を 上げたのは今から76年前の1938年と言う事で、その発売当初からほとんどモデルチェンジする事無く2014年まで生産販売されていた、超ロングセラーなのです。
普通のペダルとはスプリングの伸び縮みが逆なため、踏み込みが軽く、戻りがエラく早い!と言う所からスピードのキングと言う王位を守ってきたわけですね。
このペダルでゴキゲンなグルーヴを奏でていたドラマーは、数えきれない程居ますが有名なのは、ビートルズのリンゴ、ストーンズのチャーリー、Zepのボンゾ、BANDのリヴォン、YMOの幸宏さん、カーペンターズのカレン・・・コレだけでもうお腹いっぱいな錚々たるメンツです。その他にも確認出来ないだけで、きっとジンジャーもペイスも、ひょっとしたらバディ・リッチだってジーン・クルーパーだってスピキン踏んでたのかもしれません。
そんな世界遺産なペダルを僕が手に入れたのは13歳ころでしょうか、当時の友人にいきなりメールで訊いてみたら、地元の楽器屋に転がっていた古いスピキンを5千円くらいで買ったと言うのが真実らしいです。そのスピキンは今でも僕のメインペダルです。とは言え僕も人並みに色んなペダルを試してきましたね。タマのDP145とかカムコ、ヤマハのFP720とか、パールのツインペダルを持っていた事もありました。海外ものではやはりDWかな。まだアンダープレートがつく前のモデルで、アレはすごく好きなペダルでした。
最近ではジョジョペダルも素晴らしいレスポンスでびっくりしました。でも、でもね、どんなにハイテクないいペダルでも、結局はスピキンに戻ってきちゃうんです。
何なんでしょう、あの魔力。ここ一番て言う時にブン!ってパワーかけるととんでもないサウンド出してくれるし、かかとつけてもかかと上げても、ちゃんと音色が変化してくれる、素直なペダルで、シンプルな構造故か、僕のような堅太りがばっこんばっこん踏んでも全然壊れません。スピキン使って32年、ぶっ壊れた事は一度もありません。
とは言え、大人になった今、万が一壊れた時のためと言う全うな理由を付けてはeBayでヴィンテージのスピキンを探してはニヤニヤしてます。狙い目はジャンクのスピキン10台セットみたいなヤツを安く買いたたいて、その中から3~5台の調子いいスピキンを生み出す事。コレがまた楽しい訳です。そんなこんなしていると、自室の至る所にスピキンが置いてあると言う、一時期はトトロに出て来るまっくろくろすけ並にスピキンが増殖したことがあります。
そのスピキンはローディーのネットワークを通じて、適正な値段で売られて行く訳ですネ。仕事がない時はコレでしのいだ事もあります。助かりましたw
そして、生産終了と言う事を聞き、直ぐにドラムシティ西尾店長にメールして、お店に一台あった現行のスピキンをキープしたのは言うまでもありませんw
僕がこのペダルにこんなに入れ込むのは、憧れのドラマーが使っていたと言う事と、もう一つ、その造形の美しさにあります。アメリカの一番いい時代の素晴らしい工業デザインが光っていると思いますね。グレッチやロジャース、スリンガーランドなどのドラムのデザインはどれもキュートで美しい。ギターやベース、シンセサイザーなどでもカッコ良くて美しかった。今でも変わらぬデザインのものが多いのは、使いやすさと見た目の良さが素晴らしいバランスで成り立っている証拠ですね。
僕は普段から街をドライブしたり、ツアーで見知らぬ街へ出かけた時、その街で出来るだけ古い建物を見つける様にしています。それは何も文化財になっているようなものでなくても良くて、何十年も前からそこに建ち続け、街行く人々の生活や時代の流れ、家族の営みをじっと見つめてきた民家や、商店、工場や駅、橋や港など、ありとあらゆる建造物に目が行ってしまいます。全国ツアーで行く各地の市民会館などでも、歴史を感じることがあります。釘の痕だらけの舞台床を見ると、「ここで何千もの人が舞台を作って来たんだなぁ」と、感慨に耽る訳です。ただ、そういう舞台は平らではないので、大道具さん達はそりゃもう必死こいてフラットなステージセットを組み上げる訳です。これを読んだ方で地元の旧い会館にコンサートを観に行くことがあれば、そういう裏方さんの悲喜こもごもを想像して頂けると、チケット代以上のプライスレスな楽しみも増えるかとw
旧い建築を見つけると、大抵は外から眺めてうっとりしているだけですが、一度、岡山県の倉敷市に行った時の事、ほとんど漆黒に近い程日に焼けて、その色合いからも相当な年月を重ねてきた民家が有り、まじまじと見つめていると、中から僕の母親くらいのご婦人が出てきて、怪訝な目で僕を見る訳ですよ。こっちは何も悪いことはしてないんだけれど、人の家を外からジロジロ視ていてはそりゃ怪しい訳で、その後ろめたさから、精一杯の作り笑いで、「こんにちは、歴史のありそうなお宅だったのでつい見とれてしまいました」とご挨拶した所、ご婦人、急に笑顔になり「あら、そうでしたか、そういう事ならば、是非中も視て行って下さい」なんて言われてしまい、僕の方がびっくりしました。
「いやいや、それは図々しいと言うものです」なんて言うと、「いえいえ、どうせ独り暮らしなので話し相手になって下さい」と言われてしまい、じゃあ、お邪魔しますなんて調子よく上がり込んだらアンタ、中も当時のまま、しかもキレイに保存されていて、そこここに置かれている、コレまたヴィンテージな洋風家具が素晴らしく調和していて、暫く言葉が出ませんでした。聞く所によるとそのご婦人の曾祖父の時に建てた家で、家族が増える度に建て増ししたので家の中は迷路みたいになっているそうで。外から見るとそれ程大きな家では無いのですが、中は広々としていて、晴天にも関わらず少し薄暗くて時間の流れがゆっくりしていて、とても良い雰囲気でした。そのご婦人はご主人を亡くされたばかりで淋しかったらしく、そのご主人と共通の趣味が美術鑑賞と言う事もあり、アートの話で盛り上がりました。気が付くと、もう夕餉時で、僕はツアーの仲間と晩飯を食べる約束があったのでお暇させて頂きましたが、今度はお土産を持ってまた訪ねてみたいなと思っています。
人それぞれに独特の文化を持っていて、ほとんどの方々はその世界をあまり他人に語る事無く人生を終えて行く。
僕らは音楽の世界に生きていて、裏方とは言え、此の様な連載で勝手気ままな事を書きなぐっているけれど、市井の人々で自己表現を自由に出来る機会と言うのはなかなか無いのかもしれないんだなと感じました。とは言え、習い事やサークルなどで元気に活動しているお年寄りの皆さんなんかを見ているとそうでもないのかなと、一人納得したりしてw
僕があの歳になった頃は何に興味を持ち、何を表現しようとしているのかと想像すると、きっと何も変わっていないのかもなぁとも思います。出来る事なら足腰が丈夫で、70歳になってもスピキンでドラムをプレイしていたいなと思います。
旧い建築話をもう一つ。毎年僕は年が明け、仕事が全くヒマになる二月頃に箱根の九頭龍神社へお礼参りに出かけます。
ここの神社はパワースポットで有名でして、僕はiPhoneの待ち受けを九頭龍神社と原宿明治神宮にある清正の井戸にしてあります。で、この九頭龍神社にお参りした2012年早春、帰り道の鎌倉で渋滞に巻き込まれ眠くなった所に一本の電話が・・・「つっちー、今年の夏、空いてる?」
二月ですから、そんな先のスケジュールは早い者勝ちですよね。「なんにも予定はありませんよ、月半ばからフジロック関係がある位です」「じゃ、お願いしようかな」「いいっすよ!ちなみに誰の仕事ですか?」「ん?あぁ、アレだよ、YMO。」
意識が遠のきました。なぜって僕は九頭龍さんで、前年、フジロックでYMOと仕事出来た事にお礼を言って、そして、できれば、もう一度位ご一緒させて頂けたらこれほど嬉しいことは御座いません。とお願いしたばかりなのですから。
その翌日にこんな電話がかかって来るなんて、気絶してもおかしくないと思いませんか?思わねえか。ちっw
そんな想い出深い箱根で、一番好きな場所の一つが宮ノ下の富士屋ホテルです。ここは文化財に指定されている、唐破風屋根の超アンティークなホテルで、ここの空気感、飴色に使い込まれた階段の手すり、漆喰の白い壁、タングステンの電球の色など全てにおいて落ち着く時間を過ごす事が出来ます。ただ最近はレトロブームのせいか宿泊客が多くてなかなかロビーで静かに過ごす事が出来ないのが残念かな。
でも、僕はシーズンを外して行く事が多いので、まだマシな方かもしれません。
建物の細かなディティールに目をやり、ランプ一つ、壁にかかる絵画や、ロビーに置いてあるアップライトピアノや、寄木細工の床や、柱、ドアノブに至るまで、長い長い時を過ごしてきたモノ達に囲まれていると本当に落ち着きます。あ、そうそう、箱根から天城越えして伊豆に行くと、コレまた歴史あるレコーディングスタジオ、IZU STUDIOがあります。ここも70年代からある名スタジオで、オールド・ニーヴというめちゃくちゃ良い音がするコンソールがあり、部屋鳴りも最高で、何度もいい時間を過ごしていいサウンドを作りました。
何だか懐古主義全開になってしまいましたが、新しいモノも大好きなんですよ。ただ、せっかく時間を重ねて成熟したものを、ただ旧いから、汚いからと言って壊したりするのはどうなんだろう?と言う気持ちが常にあります。
温故知新。旧きを訪ねて新しき事を知る。音楽だけじゃなくて、人生に於いても大切な事だと感じます。
ではコレにてドロン。
<追記>
ラディック スピードキングペダルL201ですが、文中で触れられているとおり2014年に一旦廃番となりましたが、2020年にリマスターモデルとして復活がアナウンスされ、基本設計は全く同じまま、可動部分へのベアリング挿入など、各部ブラッシュアップした形でL203として復活を遂げています。
機会があれば、ぜひ一度その魅力あるフィーリングに触れてみてください!
リマスター版L203のつっちーさんによるレビュー
※追記テキスト|編集部
※この記事は2014年4月10日発行「JPC 140号」に掲載されたものに加筆修正を加えたものです。
~おまけ~ つっちーのコレを聴け!いいから聴け!とにかく聴け!
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969年生まれ。11歳の頃YMOの高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO,THE BEATNIKS,etc)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細野晴臣、[Alexandros]、Diggy-MO’ 、ピエール中野、RADWIMPS、宇多田ヒカルなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVALやSUMMER SONICなどの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。
自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。
執筆者:土田 ”つっちー” 嘉範
編集:JPC MAG編集部