Noriko’s small room
のりこの小部屋 第一回|プロになろうと思ったきっかけ
JPCMAGをご覧の皆様、はじめまして。マリンバ奏者の塚越慎子(つかごしのりこ)と申します。
このたび、コラムを書かせていただくことになり、とても光栄に思っております。どうぞよろしくお願いいたします!
初めて私の名前をお知りになる方もいらっしゃると思いますので、簡単な自己紹介を...
私は、マリンバ奏者として全国各地のコンサートホールや公共施設、各地のオーケストラや団体等からお招きいただき、リサイタル、コンサート、コンチェルトの協演、アウトリーチ公演などを行っております。海外からもオファーをいただき、これまでもいろいろな国で公演を行ってきました。また、テレビ・雑誌等メディアの出演も多くいただいております。
音楽との出会いは、物心がつく前から。母がピアノの先生だったので、気づいたときにはピアノとヴァイオリンを習っていました。
他にも毎日たくさんの習い事を習わせてもらっていたため、小学生の頃から都内までの通勤定期を持っていたほどです。(学校に通うわけではないので、“通学”定期ではなく、“通勤”定期でした...!)
小学校から帰宅すると、毎日なにかしら1つ以上習い事があったので、「友達と遊ぶ」という時間はほぼ皆無でしたが、習い事からたくさんのことを学ぶことができ、一緒に頑張る仲間がいたことでこれ以上ないほどに充実した小学校生活でした。その環境を作ってくれ、常に支えてくれた両親に心から感謝しています。
特にのめり込んでいたのは、小3から始めたクラシックバレエ。学校から帰ると、ランドセルを玄関に置き、トウシューズが入ったカバンを持ってすぐバレエ教室に向かい、終電に近い電車で帰宅。その後、夕飯を食べ、眠気と戦いながら学校の宿題とピアノ等の練習と、、、という生活でした。バレエのコンクールでも良い結果をいただき、いろいろなありがたいお話をいただいていたのですが、足のケガなどがあり、思い切ってバレエを辞めた直後にマリンバと出会いました。
4才上の姉の影響で、高校は国立音楽大学附属音楽高校に進学する!と早い時期から決めており、当初はピアノ専攻で受験予定でしたが、バレエを辞めてマリンバと出会ったのが12才の頃だったのでピアノ専攻にするのか、打楽器専攻にするのか一刻も早く決めて受験に向けて勉強しなくては、と思い、打楽器(マリンバ)受験を決意。
国立音大附属音高入学後は、たくさんの学内コンサートに選出いただき、一流演奏家、作曲家の先生方と出会うことができました。
国立音楽大学に進み、大学2年次には外部からコンサートのオファーをいただき始めたことで、より音楽を幅広く、深く勉強しなければと思い、練習が大変、つらい、身体が痛い、しんどい、苦しいなどといった感情はとりあえず横に置いておいて、とにかく練習・勉強がなによりも最優先の生活にしよう、国内外問わずたくさんの先生に習おう、音楽だけでなくたくさんの芸術に触れ勉強しよう、コンサート時の話術も身につけよう等々、世界中の打楽器・マリンバ奏者だけでなく音楽学者や研究者の先生からのレッスンを受けたり、演奏に直接関係はなくとも一流企業の重役の方々のプレゼンテクニックを学べる場に参加したりと、無我夢中のまま今に至ります。(すごく端折りました 笑)
近年、学生の方々、若手の演奏家の方々からさまざまなお悩み相談を受けることが多く、そのお悩み内容は、私も首がもげるほど頷くことばかり。未だに私も悩んでいるような内容もあります。
このコラムでは、そんなお悩み相談から派生して、音楽を演奏する上で大切にしていきたいこと、マリンバの技術的な話から、“マリンバで歌う”ということはどういうことなのか、演奏を生業としていくには...などなど、私の経験談をもとに楽しく、深く、おもしろく(?)、ときには雑談も交えながらお届けできたらと思っております。
そして、たくさんの方と繋がり、マリンバ界をより盛り上げることができたら幸せです!
さて、雑誌等でインタビューをお受けするときにまず最初に聞かれる、と言ってもいいこのトピックから。
「プロになろうと思ったきっかけ」。
実は、大学卒業後は就職したいと思っており、大学3年生になった頃から就職について考え出していたのですが、“就活で忙しくなる前に、世界中の同年代の人たちのマリンバの演奏を聴いてみたい” という気持ちから、「最初で最後、国際コンクールを受けてみよう!」と思い、『第2回ベルギー国際マリンバコンクール』を受けました。
そして、世界各国から100名以上が集まるそのコンクールで、光栄なことに第2位をいただき、3年後に行われる同コンクールに、ゲストアーティストとして招かれることが決まったのです。
こんな光栄な機会を逃すまい!と、就職するのは少し先延ばしにして、3年後のゲスト出演のために勉強を続けたのですが、やるなら全身全霊・全力投球。3年後にはもっとレベルアップしていたいと、当時在学していた国立音楽大学の勉強と並行して他の国際コンクールを受けたり、海外のマスタークラスやアカデミーにも頻繁に行き、毎日必死に勉強しました。
そして、さまざまなコンクールで良い評価をいただき、それをきっかけにコンサートのオファーが増え始めた頃、「もっと勉強するべきことがある、少し日本を離れてみよう!」と、アメリカへ留学。ジャズやタンゴをはじめ多様なジャンルの音楽に触れ、勉強している留学中にソニー・ミュージックダイレクトからCDデビューのお話をいただき、現在所属の音楽事務所(株式会社AMATI)とのご縁もいただき...
中でも、留学から帰国後まもなくして「第22回出光音楽賞」を受賞したことはとても大きく、私の人生の大きなターニングポイントのひとつです。
長い伝統と権威ある出光音楽賞※1は、クラシック音楽界の偉大な音楽家が名を連ねる賞。これまで打楽器・マリンバ奏者の受賞はなかったために、憧れることすらおこがましい、夢のまた夢だと思っていた音楽賞でした。受賞時にいただいた賞状に書かれた
「才能を高く評価し、飛躍と研鑽を願い本賞をおくります。」
の文字を見たときが、今後音楽家として生涯勉強していこうと思った大きなきっかけのひとつです。
『時間は有限、努力は無限、後悔は永遠』
いろいろ迷うことも多く、悩みも尽きないかもしれませんが、そんなときこそ目の前のことを必死に努力してみると道が開けてくるかもしれないですね!(と言い聞かせています!)
次回は、「マリンバソリストになるには」をテーマにお届けする予定です!
◇ ◇ ◇
塚越 慎子|Noriko Tsukagoshi プロフィール
パリ国際マリンバコンクール第1位をはじめ、ベルギー国際マリンバコンクール、世界マリンバコンクールなど国内外のコンクールにて数々の賞を受賞し、多くの作曲家・演奏家から信頼される、現在最も注目を集めるマリンバ奏者の一人。
国立音楽大学を首席で卒業。同時に「武岡賞」受賞。また、最優秀生として皇居内桃華楽堂にて御前演奏を行う。
これまでに、第8回 日本クラシック音楽コンクール打楽器部門第1位(1998年)、第2回 国際マリンバコンクール(ベルギー)第2位(2004年)、第4回 世界マリンバコンクール(上海)にて「The Talent Award」(2005年)、第22回 日本打楽器協会新人演奏会にてグランプリ(2006年)、第2回 パリ国際マリンバコンクール(フランス)第1位(2006年)等を受賞。
ソロ活動の他、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、広島交響楽団、群馬交響楽団、宮崎国際音楽祭祝祭管弦楽団、パシフィックフィルハーモニア東京ほかと共演し、高い評価を得ている。
ドイツ、ベルギー、スイス、ポーランド、アメリカ、イギリス、アルゼンチン等で、ゲストアーティストとして招かれ、ソロリサイタルやマスタークラスを、また2009年には世界最大の打楽器フェスティバルであるPASIC(国際打楽器協会インターナショナルコンヴェンション)においてマリンバソリストとして出演するなど、国際的に活動する傍ら、国内においても、ソロリサイタル、オーケストラとの共演、アンサンブル、アウトリーチ活動等に加え、
NHK「バナナ♪ゼロミュージック」、「ららら♪クラシック」、NHK-BS「クラシック倶楽部」、NHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」、「きらクラ!」、「リサイタル・ノヴァ」、日本テレビ系「ナカイの窓」、テレビ朝日系列「関ジャニの仕分け∞ 2時間スペシャル」、「題名のない音楽会」、「ポルポ」等、テレビ・ラジオ、雑誌のメディアへ多数出演するなど、幅広い活動を行っている。
デビューCD「DEAR MARIMBA」は、レコード芸術誌で『特選盤』に選ばれ、その後オクタヴィアレコードより「Passion」をリリース。ジャズ・ピアノの巨匠、山下洋輔から絶賛される。その後の「伊福部昭”ラウダ・コンチェルタータ”、セジョルネ”マリンバ協奏曲”」は、全国の新聞各紙に大きく取り上げられ、話題を呼んだ。
2022年、デビュー15周年を迎え「Cantabile」をリリース。レコード芸術誌において『特選盤』に選出され、レコード・アカデミー賞受賞。
2012年、出光音楽賞受賞。長い伝統と権威あるこの賞の歴史で、初めての打楽器の受賞者となる。
国立音楽大学、洗足学園音楽大学非常勤講師。YAMAHA、米・Innovative Percussion契約アーティスト。
※1:出光音楽賞
出光興産株式会社が主催する同賞は、『題名のない音楽会』(テレビ朝日系)の放送25周年を記念して1990年に制定。主にクラシック音楽の活動を対象に、日本の音楽文化向上の一助として将来有望な若手、新進音楽家の活動を支援するものとして、意欲、素質、将来性、昨年度の活躍などを選考基準とし、原則30歳以下の若手の音楽家に贈られてきた。
これまでの受賞者は、『題名のない音楽会』の司会を務めた佐渡裕(指揮)、ブリュッセル・フィルハーモニック、東京都交響楽団音楽監督、新国立劇場オペラ芸術監督を務める大野和士(指揮)、ベルリン・フィルのコンサートマスターの樫本大進(ヴァイオリン)、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督他の山田和樹(指揮)、ハノーファー国際コンクール史上最年少(16歳)優勝の三浦文彰(ヴァイオリン)など。受賞後に世界の舞台へ大きく飛躍を遂げたアーティストも数多い。
執筆者:塚越 慎子
編集:JPC MAG編集部