From the percussion room of the world
世界の打楽器部屋から Vol.6|ポルトガル共和国・ポルト 長田和子
世界各国で活動されている日本人のみなさんを「打楽器」というキーワードで、それぞれの生活スタイルや現地の情報など、その土地目線でレポートしてもらう紀行シリーズ第6回目。
今回はポルトガルにて(世界でもまだめずらしい)女性ティンパニストとし長く展開された後帰国、更なる活躍をされている長田和子さんに寄稿して頂きました。
※この記事は2018年10月10日発行「JPC 158号」に掲載されたものです。
現地情報
- 国:ポルトガル共和国
- 地域:ポルト(アマランテ市)
- 日本との時差:9 時間(サマータイム8 時間)
- 生活言語:ポルトガル語
この度は、この様な機会を頂き本当に光栄に思います。最果ての地ポルトガルでの12年に及ぶ生活は本当に私にとって本当に貴重なもので私を鍛えてくれたものでした。
そんなまだまだ未知の国ポルトガルでの生活を少しだけご紹介したいと思います。
● なぜポルトガルへ?
本当に多くの方に聞かれますが、実は私自身も良く分かりません。ある日突然ポルトガルに行きたいと思った数日後、ポルトガルでのオーディションを発見し受けに行きました。
今思えば、ロンドンでの留学が、私のティンパニへの思いを強くし、オープンマインドへと導いてくれたのだろうと思います。結局2つ目のオケのオーディションに受かったのですが、オーディションの課題がイギリス風でやり易く、1次を通ったらこのオーディションに受かる!と思ったくらい何か感じるものがありました。後から分かったのですがポルトガルのオケには沢山のイギリス人がいて、オーディションの課題を作ったのもイギリス人でした。
● ポルトガルでの生活
ポルトガル語で過ごす生活の最初の頃は、本当に辛かったです。
オーディションを受けて合格して慌しく渡葡した私は、語学を習得する間もなく、あいさつやリハで必ず必要であろう数字などだけを覚えて行くのが精一杯でした。そして当然の事ですが、就職すると言う事は、留学する事とは大きく違い、徐々に生活に慣れるという時間はなく、すぐにリハがあり本番があり音楽を中心とした生活が始まります。念願のティンパニストなのに辛くて1カ月位毎日泣いていましたが、仲間や町の人々そして何よりも毎日ティンパニの前にいられ音楽が出来る事が私を救ってくれました。
沢山のカルチャーショックにも遭遇しました。中でもびっくりしたのが、サッカーの試合がある為にリハが終わると言う事。
あのクリスティアーノ・ロナウドの国。サッカーが命の国です。結局大切な試合があるとポルトガル人達はソワソワ。全く練習に集中しないので指揮者も諦めると言う感じです。どうしてもリハなどが入っている時は舞台袖のモニターでサッカー中継を流し横目でチラチラ。もちろんサッカーの試合の時間に演奏会をしてもお客さんはいらっしゃらないです。
私が居たポルトのオケは、コンサートに音教、オペラやバレエもこなしました。どんな僻地にも出向き町の人々に音楽を届けていました。そんな場所にはもちろんコンサートホールも無く、教会で演奏会を行う事も沢山ありました。冬の教会は極寒。凍えながら演奏していましたが、みんなセカンド楽器を用意し寒くても初めて聴くオケの演奏を楽しみにして下さっている方の為に必死でした。オペラも沢山経験でき、私の最高記録は2週間で「サムソンとデリラ」「アイーダ」「フィデリオ」「カルメン」を演奏した事。ポルトガル語が分かることで、ラテン系の言葉は耳に入り理解できるようになり、更にオペラは楽しくなりました。今思えば、初めてのポルトガルでの仕事はやはりオペラで、ポルトガルに到着した次の日にリハなしで本番でした。その頃から初見や度胸など色々鍛えられて来たのだと思います。
ポルトガルにはそれぞれの町にアマチュアのウィンドバンドがあります。敬虔なクリスチャンの国で教会行事が多く、そこにはいつもウィンドバンドが登場します。町の人々がウィンドバンドを愛し、見守り応援をし育てています。そこに見た目から異国人とわかる私が入り込む事は、ポルトガル人に認めてもらい受け入れてもらえたと言う事。初めて、教えに来て欲しい、一緒に演奏して欲しいと頼まれた時、子供達にレッスンをし一緒に音楽をする事が叶った時は本当に嬉しかったのを覚えています。
最後に、ありきたりですが、夢は絶対に諦めず思い続けていればいつか自分に合った居場所を見つける事が出来るのだと私は思います。それが日本でも海外でも。正直大学時代、女性にティンパニは無理と言われたこともありましたが、逆に諦めるなと応援してくれる人もいました。
ポルトガルにはメインのオケが6団体ほどありそのうち私ともう一人イギリス人の女性がティンパニストでした。1番大切な事は、自分の直感を信じ一生懸命やっていれば、どこかで認めて、求めてくれている人がいる。そういう素敵な出会いに遭遇できるよういつまでも私は努力していきたいと思います。全ての出会いに私は感謝しています。そしてポルトガルは私の居場所の1つとなりました。
長田和子プロフィール
横浜市出身。東京音楽大学卒業及び研究生修了。
研究生在籍中特別給費留学生として英国王立音楽院(RAM)へ短期留学。
その後入学奨学金を得てRAM PGDip Timpani&Percussionへ入学。
1996 年よりポルトガルに渡り首席ティンパニ奏者として活躍。
2018 年より日本に帰国。音楽活動と同時に語学を生かし、外国籍の子供達の日本語指導員としても活動している。
執筆者: 長田 和子