tucchie's Taiko Strange Story
つっちーの「太鼓奇談」第七回|当たりとハズレ 単純で早急な判断の過ち
※この記事は2015年4月発行「JPC 144号」に掲載されたものです。
※文中に、アマゾンアソシエイトシステムを利用した、Amazon商品ページへのリンクが含まれています。
JPC 会報をご覧の皆様、またまた与太話のページへようこそ。太鼓持ちのつっちーです。今日も皆様の貴重なお時間の隙間にちょいとお邪魔して、アレコレと書いてみたいと思います。
え~先日、ひょんなことから駄菓子屋さんに入り、昔懐かしいお菓子の数々を娘と一緒に大人買いして、その日の晩に読書しながら、カレー味のあられやら、チョコカステラなんぞをパクついておりました。駄菓子と言えば、お菓子の裏蓋や包み紙の裏に仕込んであるクジが定番ですね。当たりが出ればもう一つお菓子がもらえて、ハズレならハイそれまでよというアレです。僕が買ったお菓子は全部ハズレでしたが、何故かハズレでも悔しいとは思わなかったのです。
いい大人が10円20円のクジで一喜一憂するものでもないというのが普通の反応でしょうが、ハズレと言えども、昔懐かしい駄菓子を堪能出来た事で値段以上の体験が出来ているので、それ以上のことは望むべくもないというところでしょうか。当たりとハズレ、ちょっと長く生きていると、当たってももちろん嬉しいのですが、ハズレの中にもちょっとした何かを感じ取れるようになるものですね。
楽器の世界にも当たりハズレと言う事をよく耳にします。
特に消耗品の類ではよくある話ですね。
僕らの世界でいうと、ドラムのヘッドやスティックに多く、「あぁ~、このヘッドハズレだぁ」とか、「このスティックはハズレだから除けといて」なんていうことは日常的に聞かれる言葉です。
もちろん、プロの世界で厳しくクオリティを追求し、更なる高みへと切磋琢磨していく上で道具の選定というのは大事だというのは以前お話しした通りです。
ですが、ハズレのヘッドやハズレのスティックは本当にハズレなのでしょうか?
あるドラマーは来日時に楽器とともに大量のスティックを持ち込みました。
8ダースくらいでしょうか、長いツアーなので、それくらいは必要と見積もって持ってきたのでしょう。
二週間のツアーリハーサルから二カ月のツアー、その日々の中、二人で今日使うスティックの選定をします。
単純に軽いものははじかれるというルールなので、重さの基準がわかれば僕一人でも出来るのですが、いつもその外人ドラマーと二人でお茶を飲みながらアレコレと雑談しつつ、今日使う5~6ペアを選定していました。
ある日、はじかれたスティックが1ダースを超えそうな頃、僕は「このハズレスティックどうする?」と尋ねたことがあります。彼は、「ハズレじゃないよ、このツアーでのプレイには合わないってだけで、レコーディングや、小さいクラブでのプレイで使うから取っておいておくれ」と言いました。
僕は「そうだよね、ちょっと軽いってだけで使い道はいっぱいあるよね」と納得して大事にツアーケースへ仕舞いました。
ハズレと言う言い方をしてしまうと、あたかももう使い道のないゴミのような扱いになってしまいがちですが、実はそうではなく、今その場で繰り広げられる音楽にちょっと合わないかなと言うだけの話で、その場を離れたら使い道は沢山ある。言い換えればそのハズレスティック達の居場所は沢山あるということなのですね。
よく考えてみると、駄菓子屋でクジを引いてハズレが出た時、「次の一手」に向かう切符を手に入れたということではなかったかと、屁理屈に近い真実に気がついてしまいまして、強引な文章を書いておりますw。
万が一、駄菓子屋で当たりが出た時、それは「ゴール」なので、もう終了です。次の標的を探さないといけません。
ハズレは「よし、次こそあの一等賞を取ってやる」と言う未来への布石になるのでは?。次の日にまたクジを引くその瞬間まで作戦を練って、いつもと違うアプローチでクジ引きにチャレンジしてやろうと、学校の授業そっちのけで頭脳はフル回転だったりするわけで、でも、そのフル回転がとても大事な脳トレだったりすると思うのです。
しかし、死ぬほどくだらない事を書いていますね。
ハタと気がつくといつもこの体たらくなのです。
なぜこんなことを書いているのだろうかと、ふと我に返って思いを巡らせていると、昨今の様々な場面で出くわす、「単純で早急な判断の過ち」が心のどこかで引っかかっているんだろうなぁと、思い当たるのです。
スティックの話で言うなら、ハズレと仕分けされた軽め(または重めの)スティック達には別の活躍の場が用意されていると言う前提での仕分けでしたが、ごくたまにスタジオのゴミ箱に真新しいスティックが捨てられているところを目にします。捨てた人が知り合いだったなら、僕は思わずこう訊くでしょう。「新品なのに捨てちゃうの?」と。
その彼は即答します「あ、ハズレなんでゴミなんです」と。
ここで貧乏性の僕はその捨てられた憐れなスティックをチェックしてしまいますw
割れも欠けもなく、反りもない、バランスも悪くない、普通のスティックなんですね・・・。僕は首をかしげるばかりです。今の現場に合わないから捨てる。ハズレだから。
もちろん、「不良品」だったら仕方がありません。使えないのですから。それでも新品を破棄するのは忍びないものです。だからハズレというだけで「捨てる」という単純な判断でいいのかなぁと、常日頃感じているのです。
せめて一打だけでも音を出させてから、とかね。
こんなことを感じるってのも年取った証拠ですかねぇ。
なんにせよ、最近の世の中、この短絡的思考で良くない事が起こりまくっているような気がして仕方ないのです。
「私は100% 正しい。あなたは間違っている。だからだめなのだ」と言うある意味潔癖な価値観がどんどん蔓延して、今の世を生きる人々の首を真綿でしめるような息苦しい世界になっていると感じます。
ハズレにもいいところはある、落ちこぼれたっていいじゃない。なんか、上辺では「個性を大事に!」て言うけど、実際のところ、ものすごく没個性な大群が出来上がって、皆同じ価値観で生きているのがちょっとした恐怖を感じます。
ハズレの生きる道が全く用意されていない世界は、「価値観を共有できないものをつまはじきにする」世界に繋がり、その価値観を利用して集団をコントロールすることだって可能なわけです。
なんだか話が大げさになってきましたね・・・w
閑話Q 題。
え~、最近アレですね、明治神宮にお参りに行きましてね、御賽銭放って、境内を歩いていたらなんだかちょっとした行列が出来ていて、なんだろうかと思って見に行ってみたらば・・・そこには女性たちのみの行列で、皆さん「御朱印」とやらを頂くのに行列しているらしいのですね。
御朱印、簡単に言うとお寺や神社のお印で、それぞれに特色があり、確かに集めると楽しいのかもしれません。
楽しいのはいいんですけど、これ実際のところアレですよ、最近やっていた山手線のウルトラ怪獣スタンプラリーとは全く違うもので(アレはアレでものすごくコンプリートしたい欲求に駆られますが)、御朱印をいただくと、殆どの場合横に日付とともに「奉拝」と書いてあるんですね。奉拝というのは、読んで字の如く「捧げて拝む」わけで、お寺なら例えばその宗派のお経を一遍読むか、写経して納め、その証としての御朱印なのではないかなぁと思うこれまた口やかましい爺さんのような事を口走ってしまうわけでねw
だってさ、ある女性なんて、御手水もせず、お参りもせず、一直線に御朱印受付に来て平然と並んでいるってのはさ、ちょっと虫がよすぎやしねえか?なんて思うのです。
写経しろとは言わないけど、せめて御手水でお清めして、お参りして、境内の空気感を味わってから御朱印でもバチは当たらねえだろうと思うんですよ。
ね?「単純で早急な判断の過ち」ってヤツですよ。
御朱印を集めることだけしか関心が持てなくなって、その神社仏閣の由来や神様仏様のお名前、知らないままでよく御朱印貰いに行けるなあと。その御朱印帳を後で見返して思い出す事はないのかなぁと。味気ないですよね。
そう、「味気ない」んですよ。当たりハズレもそれだけで終わっちまうとなんともつまらない。
それぞれに色んなストーリーがあって、悲喜交々があって、本当は当たって嬉しいはずなんだけど、実は気の毒な事になっちまって、でもそれは側から見ているとちょっと笑えるとか、ゴルフのホールインワンなんてそうらしいですね。
滅多にあることじゃ無いから本人は嬉しいんだけど、やっちまったからにはご祝儀で一緒に回っている人やキャディーさんにお捻り出さないといけなくて「ホールインワン貧乏」なんて言葉もあると聞きます。それでも周りの人はただご祝儀頂くだけじゃなくてそれぞれに気遣いを見せたりして本当に貧乏になっちまわないように配慮する・・・いい話じゃありませんか。ただ勝ってそのまま勝ち逃げしたら次から呼んでもらえませんよ。ちょこっとビールにつまみくらいは振舞って「いやいやどーも、これまたなんつーか」ってくらいはヤってもバチは当たりません。気持ちって大事です。
ハズレも十年、二十年と付き合えば掛け替えのない相棒になってくれて、そこいらの当たりより全然いいわけです。
僕は最近、しばらく使っていない楽器を殆ど手放しまして、自分にとって「大当たり」に「育って」くれた楽器だけを手元に置いておくようにしました。
ドラムセット二台、スネア三台、シンバル3セット。とてもすっきりしたのと、以前よりさらに丁寧に楽器に接するようになりました。やっぱり数が多いと手が回らない事もあるわけで。古い楽器で、決していい状態ではないのですが、僕にとっては唯一無二の相棒です。その楽器もある人に見せたら、中のラベルを見て、「あ、これ、タム二つの製造工場が違うね。ハズレだったね」何て言われちまって・・・「てめえ、余計なお世話だってんだ!とっとと失せやがれぃ!」と心の中で蹴り飛ばしてました。
ヴィンテージでアレがどうとかコレがあーだとか、能書きタレるのも確かに楽しい一時ですが、人様の相棒捕まえてハズレとか言っちゃいけません。他人が大事に思っている物事を簡単にアレコレと批判しちゃいけないんですよ。
そういえば、こないだもそんなことありましたね、フランスの雑誌がイスラムの神様を風刺したとか・・・やっちゃいけないことなのですよ。神様とテロリストは別なのだから。
そして、テロリストはなぜテロリストになったのか、そこを知ると少し色んな事が見えてくると思います。
少なくとも、僕が知っているケバブ屋でムスリムのおっさんはいつもおまけしてくれて、「家族は元気?」「良い天気だね」「今日も仕事がんばろね」と声をかけてくれるとてもいい人です。そのおっさん、こないだケバブ買いに行ったら、凄く悲しそうな目で「日本の人、皆私に気遣ってくれる。申し訳ない。アッラーの神様、絶対人殺ししないよ」って言ってましたよ。僕はただ頷いてハグすることしかできませんでしたね。
一体いつになったら平和な世界が来るのでしょうねぇ・・・
当たりとハズレ、どっちも大事なんです。
今月はちょっと脱線しすぎちゃいましたね。
駄文にお付き合い頂きありがとうございました。
また次の会報まで・・・。愛と平和を願って。
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMOの高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉や、凛として時雨、高橋幸宏(YMO)、サカナクションなどのツアーやレコーディングに携わっている。
自身のバンド254soulfoodでは地元のクラブ鶴瀬パオパオで定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。
執筆者:土田 ”つっちー” 嘉範