from the drum Lesson!
ドラム道場からのレッスンリポート 第7回|音楽のジャンルについて
こんにちは、ドラム道場・講師の市川宇一郎です。このコーナーでは、ドラム道場の生徒さんからの質問をみなさんに紹介していこうと思います。参考になれば幸いです。
さて、私のレッスンでは、ロックもフォークもジャズもラテンもシャンソンもボサノバもシティ・ミュージックも歌曲も演歌もマーチも分け隔てなく扱っています。音楽には上下関係などないのですから、ジャズと演歌をくらべて、どっちが上等なのかと問うこと自体バカげてます。
でも、今だから白状しますが、私は始めからそんなふうに思っていたのではありませんでした。
学生の頃、私はフリージャズに没頭し、それ以外は取るに足らない音楽と考えるジツに思い上がった偏屈なドラマーでした。そんな私が「更生」できたのは、ドラム教室でレッスンをするようになって、いろんな音楽に係わるようになったからでした。 いろんなジャンルの曲を叩いてみると、歌謡曲もラテンもボサノバも、どれもみんな深くて面白い。20代後半になって、ようやくそんなことに気づいたんです。フリージャズだけが孤高の音楽だと考えていたなんて、まったくドーカしていました。
そんなわけで、それ以降、いろんな音楽を手当たり次第に聴きまくるようになったのですが、その無節操ぶりは、生徒さんにもあきれられるほどで、自分でもどの音楽が一番好きなのか、わからなくなってしまうほど。そんなメチャクチャな聴き方をこの歳になるまで続けてきました。
そんなある日、テレビ番組でイギリスのロック・バンド「プロコルハルム」の『青い影』を聴いたんです。久しぶりにじっくり聴くと、まぁ、そのドラミングのすばらしいこと。あらためて感動しました。
誰が叩いているのかとアルバムを調べると、BJウィルソンというメンバーの名があがってきます。でも、詳しく調べていくと、『青い影』の1曲だけはビル・エイデンというドラマーが叩いていることが判明しました。オリジナル・メンバーのドラマーがいるにもかかわらず、『青い影』だけはビル・エイデンに叩かせているんです。アルバムのもっとも大切な曲なのに、オリジナル・ドラマーには叩かせず、わざわざ別のドラマーに叩せた。フツーじゃないでしょ。
でも、それで納得がいきました。アルバム「青い影」のなかで、タイトル曲の『青い影』のドラミングと他の曲とは決定的に違って聴こえるその理由が。 みなさんも、ぜひ『青い影』を聴いてみてください。ビル・エイデンの叩く深いバックビートと3連系フィルのカッコ良さに言葉を失うはずです。
ビル・エイデンは1930年生まれのイギリス人で、ジャズとロックの両方のジャンルでいろんなミュージシャンと共演を重ねましたが、どちらかと言うと、ジャズ・ミュージシャンとの仕事が多かったようです。そんな彼が、1967年のプロコルハルムのアルバム録音に呼ばれ、あの曲「青い影」を叩いたんです。
いいですよね、ジャズもロックも両方出来るなんて。私のような凡人はたったひとつのジャンルだって満足に出来やしないのに・・・。
ま、そんなグチはともかく、なかなかできないことですよ、ふだんはジャズ系の仕事が多いドラマーが叩いた一曲がロック史に残る名曲になるなんて!
日本では、どうでしょう。
「青い影」がヒットした60年代後期、日本の音楽シーンでそんなことはあったでしょうか?
時期はチョットずれますが、日本でもドラムを大きくフィーチャーした「ドラム・ドラム・ドラム」なんていうレコードが人気を博したことがありました。これは当時流行ったロック曲を歌のない演奏曲風にアレンジした上に、ドラムのフィルをボカスカ入れた小気味よい演奏が特徴で、多くのシリーズが発売されました。演したのはベテランのジャズ・ドラマーたちですが、おそらく彼らの本業であるジャズのアルバムよりも多く枚数を売り上げたと思われます。ロックは需要がありますからね。
でも、当時のジャズ・ミュージシャンのなかには、歌謡曲やロック系の仕事をチョットさげすむ傾向も少なからずありました。コンサートの主催者に「今日は若い観客が多いので、ロック調の曲もやって」と頼まれたある著名なジャズ・ドラマーはこう言ったと聞きます。
「オレ、そーゆードラマーじゃないんだ。」
自分はあくまでもマジメなジャズを叩くドラマーであって、チマタで流行っているロックなんかを演るドラマーじゃないんだ、と言いたかったんでしょう。
そんな彼も、後年は「音楽にはロックやジャズもない」と公言し、偏見はなくなったようです。しかし、当時の日本のジャズ・ミュージシャンには、ジャズはロックより格が上と考える傾向があったのは事実でしょう。
いや、いまでもそういう傾向はあるかも知れませんね。歌モノのロックよりジャズのほうがレベルが上とする人、いるでしょ?突き詰めていけば、音楽スタイルの違いだけで、どっちが音楽的に上か下なんてくらべられないのに。
それを考えると、ロックも高い水準で演奏した60年代イギリスのジャズ・シーンのふところの広さ、レベルの高さに驚かされます。日本のミュージシャンだって、ロックだジャズだとつまらぬ垣根をつくっている場合じゃないんです。
最近はジャズとロックの垣根は、かなり無くなってきたように思われますが、クラシック音楽の関係者のポピュラー音楽に対する偏見はいまだに強いようです。
ある音楽大学の学生がポピュラー系の仕事に進もうと教授に相談したら「キミは、チンドン屋になるのかね」と言われたといいます。ジョーダンで言ったんじゃないんですよ。教授は本気でそう言ったんです。それにしても、チンドン屋はないでしょ。いや、チンドン屋さんだって、レッキとした職業なんですからまったく失礼な話です。
こんな偏見が生まれたのも、仕方ないことかも知れません。と言うのも、日本では、明治維新以来、西洋列強にバカにされまいと鹿鳴館なんて洋館をつくって、そこでクラシック音楽を珍重してきた歴史があります。そういう経緯のなかで、日本の伝統音楽は西洋クラシックにくらべたら「低俗」なものとされたのも無理もありません。
それをよく象徴しているのが、小中学校の音楽室の黒板の上にズラリと飾られた歴代の音楽家の顔写真です。みなさんの学校の音楽室にも、バッハやハイドンやモーツアルトやショパンやベートーベンなどクラシック音楽の巨匠たちの顔絵を入れた額がありませんでしたか?
考えてみればオカシな話です。日本の学校の音楽室なのに、西洋の音楽家ばかりがうやうやしく飾られている。どうして日本人の音楽家の顔がないんでしょう?
イヤ、端っこのほうに滝康太郎や宮城道雄の顔がありましたっけ。えっ、無かった? 全員、西洋人ばかり?そりゃ、ヒドイ!
音楽の授業にしても西洋音楽を中心にしたものでしたから、生徒が日本の伝統音楽に興味をもてるはずもなく、日本の音楽は西洋音楽には劣るのかな?という観念が自然と植えつけられていったのも無理はありません。それが文部省の本当のねらいだったとすれば、それは大成功を収めたと言えますが・・・。
おっと皮肉はやめましょう。肝心なのは、偏見なんて取っ払って、音楽を自由に伸び伸びと体験できる環境にすることです。
でも、そうは言っても、これだけ日本の伝統音楽と長いこと引き離されてしまうと「小唄」や「長唄」や「新内」なんかを聴いても、遠い国の変わった音楽にしか感じられなくなっています。いまや私たちが耳にする音楽は大半が洋楽で、伝統音楽を毎日のように聴いているなんて人は少数でしょう。この現実を引っ繰り返すことは、到底できそうもありません。
お正月に宮城道雄の『春の海』で琴と尺八の穏やかな二重奏を聴いて「いいなぁ」と思っても、それはほんの一時のことで、お正月が過ぎればロックだジャズだアニソンだとアッという間にふだんの「日常」に戻ります。
これほどまでに洋楽が席巻し、国の伝統音楽を追いやってしまったのは日本くらいなんではないでしょうか?ナンテ言うワタシもその洋楽に関わって生活しているのですから、何か言えたものでもないのですが ・・・
さてさて、今回は自分の言ってることのツジツマが合わなくなって来たようです。こういうのを自己撞着っていうんでしょうね。
それでは、また次回お会いしましょう。
■市川宇一郎(いちかわういちろう)プロフィール
1954年、東京都生まれ。
学生時代からジャズのライブハウスなどに出演。
卒業後、ジャズ・ピアノ・トリオを中心にプロ活動をはじめると同時に、音楽専門学校の講師としてリズム教育にも従事。音楽雑誌の執筆や著作活動に重点を置くようになる。
86年には、プロドラマーの自主的勉強会として「ジャパン・ルーディメンツ・クラブ」を主宰し、独自の練習メソッドや会報を作成する。
現在は、執筆活動とともに浅草ドラム道場(コマキ楽器)等で後進の指導にあたっている。
著書に、『ロック・ドラム練習のコツ教えます』(ドレミ楽譜出版社)、『続・リズムに強くなるための全ノウハウ』(中央アート出版社)、『リズム・トレーニング強化 書』『極私的モダン・ジャズ・ドラマー論』(ともに音楽之友社)ほか多数