ドラム道場からのレッスンリポート
ドラム道場からのレッスンリポート 第4回|プロとして活動するための心構え
こんにちは、ドラム道場・講師の市川宇一郎です。このコーナーでは、ドラム道場のレッスンで生徒さんから寄せられた質問をみなさんに紹介していこうと思います。
生徒さんからの質問の内容はジツにさまざまで、奏法やノリ、記譜や読譜、シンコペーションや変拍子、バンドでの演奏ボリュームやアンサンブルでの注意点、ルーディメンツやラテンの奏法、ブラシやマレットの使い方などなど多岐にわたります。
さて、今回の質問者のさんは、音楽専門学校を卒業して、将来、ドラム講師を希望していますが、そんなAさんが、ある日、こんなことを尋ねてきました。
「プロに成るには、どうしたらいいんでしょうか?」
こんな質問を受けるたびに、私には思い出される出来事があります。
それは、学校を卒業してすぐ入った会社の仕事で、東京の青山に事務所を構える某アート・デザイナーに会った日のことです。
その頃の私は、プロ・ドラマーの世界に足を踏み入れることなど叶わぬ夢と思いつつも、それでもきっぱりと諦め切れない気持ちを抱えながら編集関係の仕事をしていました。
そんなときでした。著名なデザイナーに会うことになったのは。仕事を終えたとき、私は個人的に彼に尋ねてみたい気持ちを抑えることは出来ませんでした。
「ぶしつけな質問で申し訳ありませんが、どうしたらアナタのようなデザイナーになれるんでしょうか?」
すると、彼は、嫌な顔ひとつせずに、こう答えてくれたのです。
「ボクもね、美大を卒業するときまでは、ホントにプロとしてやっていけるんだろうかと不安だったんですよ。それで、卒業式のあとの謝恩会のとき、お世話になった先生に聞いたんです。『どうしたらプロとしてやっていけるんですか?』ってね。そうしたら、先生が話してくれた内容があまりにも楽観的で、それを聞いた直後は、チョットな・・・と思ったんだけれど、でも、あとでその話を思い返すと、やっぱりそれしかない!って思えてね。」
「で、その先生、なんとおっしゃったのですか?」
先生が言ったのは『3つのことを忘れずにやれ』って、それだけだったんですよ。
ひとつは、毎日かならず練習すること。これは、どんな仕事だっておなじですよ。日々の練習を怠っては、伸びて行かれませんからね。
ふたつめは、けっして諦めるな、と。なぁんだと思われるかも知れないけれど、ずっと仕事をしていると、それまでやってきたことに自信が持てなくなって、『もうダメだ、限界かも・・・』という瞬間があるというんです。人は、外からの圧力はハネつけても、自分の内部から湧き出た不安には、案外、弱かったりしますからね。それで才能もあり努力もしたにもかかわらず、自信をなくして辞めていった者を先生は見てきたんでしょう。で、そんなときこそ、けっして諦めるな、と。
みっつめは、健康に注意しろ、と。あたりまえのことですが、健康を害してはいい仕事はできません。努力もしたし、才能もあったのに、健康を害したために辞めていった者を先生は見てきた。だから、健康に注意しなさい、と。
どうしてこの3点なのかと言うと、「才能があるのに怠けて練習しない人、不健康な暮らしをつづけて体調を崩した人、自分に自信が持てなくなってしまった人は、みんな道半ばで辞めていく。そうして、強力なライバル達がいなくなれば、残るのは3つのことをしっかり守った者だけになるじゃないか。だから、健康に気をつけて、毎日かならず練習し、けっして諦めなければ、必ず成功するんだ」と先生は言うんです。
そんな話、楽観的で、信じられないでしょ?ボクだってそうでしたよ。でも、先生の話を思い返すと、やっぱり『それしかない!』と思えてね。楽天家だと思われるでしょうけれど、ボクはその3つのことを信じることにした。それで、今日のボクがあるんです。
私は身体にガツンという衝撃を感じました。たった今デザイナーから聞いた『3つのこと』をけっして忘れまいと、頭のなかで何度も何度も繰り返しました。そして、私も決めたんです。自分もその3つのことを信じてやっていこうと! Aさんには「楽天家」だと思われるでしょうけれど。
そもそも、たいしたドラムの才能などなく、努力家でもない私が、ドラムという楽器に関わって生きていくにはどうしたらいいか、と考えたとき、あの3つの言葉はこころの大きな「支え」になってくれたんです。
会社を辞めてこの世界に入り、はや45年ほどになりますが、元気なうちはまだあの3つの言葉を支えにやっていきますよ。
「それで、ドラムを教える仕事には、どうやって就いたんですか?」
私のプロとしての初仕事は、有楽町の交通会館ビルの最上階にあるレストランでの箱バンでした。ピアノ・トリオでジャズとボサノバを中心に、日曜を除く毎晩、6時半から4ステージ演奏してたんです。箱バンっていうのは、毎日、決まった店で(業界では箱と呼びます)演奏するバンドというのを縮めた業界用語なんですが、この仕事は、そのころ習っていた先生 (ジャズ・ドラマーの松尾明氏)に『プロでやりたいのなら仕事を紹介してやるよ』と世話してもらったんです。
ところが、この仕事は1年半で突然なくなっちゃうんです。レストランが経費削減のため、バンド演奏をエレクトーンに切り換えたので「バンドのみなさんは、ゴクローさんでした」と放り出される。つまり失業ですよ。
親の反対を押し切って会社を辞めてこの世界に入ったのに、なんと1年半で失業! これには参りました。こっちにいくらヤル気があっても、必要とする側がいないんじゃ、どうしようもありません。
そんなとき、ドラムを教えるのを仕事にすれば、演奏よりは多少とも生活が安定するんじゃないかと考えたんです。それに、いつかは自分のドラム教本を書いてみたい、という夢を実現させたいこともありましたし。
「で、教室はすぐに見つかったんですか?」
いえいえ、当時は、東京や横浜でもドラム教室は数えるほどしかありませんでした。 だから自己開拓したんです。電話帳で調べた楽器店に片っ端から連絡して「ドラム教室、やりませんか?」って。
「それですぐOKに?」 そんなワケありませんよ。大半は「ウチではやりません」とか「ドラム教室をやる防音室がありません」と断られる。すると、こっちも必死になって、なんとか食らいついて説得しようとガンバルんですよ。それで、横浜のある楽器店が興味を持ってくれて、最初のドラム教室の開校に漕ぎ着けたんです。
「すぐに生徒は集まったんですか?」
いいえ。興味をもってくれた人はいたかも知れませんが、すぐに入会してくれるわけじゃありません。それじゃ、どんどん宣伝しようと、『ドラム教室・生徒募集!』なんてビラを油性のフエルト・ペンで一所懸命書いて、そこら中に貼りましたよ。そうして少しずつ生徒が集まるようになって、それを『名刺代わり』に他の教室も開拓していったんです。『オタクの店でも、ドラム教室やってみませんか?』てね。そうやって教室の数を増やしていったんです。
「大変だったんですね」
そりゃ、大変でしたよ。生徒が少なかったころは、こんなので生活していけるんだろうか?と不安を感じることもありました。でも、辞めたいとは思わなかった。好きなことだったし、きっと集まると信じていましたから。
当時は、ドラムを教えるだけで生計を立てているドラマーはいなかったんですよ。ドラム教室の先生に相談しても「ドラムのレッスンっていうのは、演奏の合間にやるもんで、それだけで食っていけるワケないだろ」と一笑されました。演奏とレッスンの関係はそういうものだったんです。
だから、先生が演奏旅行に出掛けているあいだ、べつの講師がレッスンを代講する事がありましてね。そんなときは、生徒がないがしろにされてるようでね。もっとレッスンを大切にやってくれる講師はいないんだろうか、と思いましたよ。
ほら、ゴルフだとレッスン・プロがいるでしょ。ドラムにもそういう職業があってもいいんじゃないか、とずっと思ってたんです。
「そう言えば、アメリカにはドラム専門のレッスン・のプロがいますよね?」
そうなんですよ。かなり前からいたんです。で、現役のプロのドラマーたちは、何人ものレッスン・プロに習って、自分の演奏スタイルをつくりあげたり、奏法を強化したりしているんですね。アメリカのプロ・ドラマーの経歴を見ると、何年に誰それにルーディメンツを習い、何年に誰それに変拍子を習い、また何年には誰それにペダル・ワークを習った、なんて履歴が細かく記されています。それは過去だけじゃなく、プロとして活躍する現在でも、いま誰それにこれを習っている、と書くこともあるんです。まるで自慢話のようにね。
「有名なドラマーでもそうなんですか?」
私の知るかぎりでは、デイブ・ウエックルとスティーブ・スミスとビニー・カリウタの3人が『モーラー・システムの正統的な伝導者』としてアメリカ中にその名を知られているフレディー・グルーバーというレッスン・プロのところに習いに行っています。アマチュア時代じゃないんですよ。彼らが世界的に有名になった頃、習いに行ってるんです。
日本ではなかなか馴染みませんよね。プロのドラマーに『いま、誰に習っているんですか?』なんて聞いたら『ふざげんな! オレはプロだぞ!』と怒られちゃう。「習う」という意識がちがうんですよ。ヘタだから習うんじゃなくて、もっと上手くなるために、もっと能力を発展させるために習う。だから、プロになってからも平気で習うんです。それは不名誉なことじゃなく、前向きなことなんでしょうね。
「プロになってからも習うっていうと、日本では恥ずかしいって言うか・・・」
そうですね。でも、恥ずかしいことなんてありませんよ。私だって、つい先日、クラシック・パーカッションの第一人者の有賀誠門氏にリズムの取り方を教えて頂きました。とってもいい経験になりましたよ。この歳になっても、まだ習いたいことはあり ますから。それと、教本からも習えますよね。間接的ですけれど、著者の言いたいことは受け取れます。
「最近ではドラム関係の本はたくさんありますが、かつての日本ではどうだったんですか?」
数は少なかったけれど、ありましたよ。なかには、名著と言ってもいいほどすばらしい本もあって、自分もいつかはそんな本が書けたらいいなぁ、と思っていました。
「それはなんという教本ですか?」
八木宏氏の『メソッド・フォー・モダン・ドラマー』と『ジャズ・ドラミング』という本です。聞くところによれば、この人は経済界の大物の秘書をやっていたようで、ドラマーの仕事は内緒だったようなんです。それで、その存在がほとんど知られていないんですが、当時としては、とても高い水準のジャズ・ドラミングを解説していました。これは、今でも世界に通用するレベルだと確信します。
そんな素晴らしい教本との出会いがあって、自分もいつかそんな本が書けたら、という気持ちは十代の頃から持ってたんです。
八木さんの本にくらべたら、私の本なんて全然ダメなんですが、いろんなタイプの生徒さんにドラムを教えて気づいたことを織りまぜた教本を書いたんです。最初の教本はドレミ楽譜出版社さんから出してもらいました。そこがプロのドラム講師としての私のスタート・ラインなんですね。ドラムを教えて、そこで得たノウハウをまとめて教本にする。それが私の思い描くドラムのレッスン・プロの姿でしたから。
「その後、専門学校でも教えていましたよね?」
景気が良くなった頃、「イカス・バンド天国(略してイカ天)」というアマチュア・バンドが出場して競い合うテレビ番組が大人気になって、「自分もミュージシャンになりたい」っていう若者が激増した時があったんです。80年代の後半から90年代の初頭のバブル景気のさなか、なにをしても生活できた時代だったから、それなら好きな ミュージシャンになって一旗あげよう、なんて若者が大勢いたんです。
音楽専門学校もたくさん出来て、どこも学生であふれていましたね。私もいくつかの音楽専門学校の講師として、プロ志望の学生たちを相手に朝から毎日のように授業をやっていました。いま思えば、音楽業界のバブルだったんですね。なにしろ空前の「バンド・ブーム」でしたから。
「学校には、プロ志望の上手いドラマーが集まったんでしょうね?」
ブームっていうのは、それに関わってる人数は多いけれど、全体的に見ると、レベルはそんなに高くはないんですよ。音楽専門学校もおなじです。学生の大半はプロをめざせるほどのレベルではありませんでした。
「でも、専門学校で集中的にドラムを教わったら、かなり上達するんじゃありません か?」
たしかに、上手くはなりますよ。2年間、毎日レッスンを受けるんですから。でも、それでプロとして通用するかどうかは、話は別です。中学や高校でドラムに興味をもって、専門学校に進んで2年間習ったとしても、ドラム歴にしたら4〜5年程度でしょ。なかには10年位のキャリアをもつ学生も数人いましたが、大半の学生のキャリアでは、プロとして通用しませんよ。どんなアートだって、習って4〜5年でプロになれるほど甘くはないでしょ。
「すると、学校を卒業すると学生たちはどうなるんですか?」
ほとんどの学生が一般の会社に就職しました。一部の学生は、卒業後もコンビニなどでアルバイトをしながらプロをめざしましたが、それも1年後2年後と徐々にその数を減らし、数年後には、ほぼゼロに。バンドで食っていけるかどうかなんて、宝くじに当選するようなものですよ。
「きびしいですね・・・」
音楽専門学校って、本来はプロを養成する所なのに、大半の学生が音楽以外の道に進まざるを得ない現実があります。だから、私たち講師がもっとも力を入れたのは、プ 口になるためのきびしいレッスンを体験させ、それを乗り越えてきたんだ、という自信を持たせること。それが卒業後に音楽以外の仕事に就いたときの力になりますからね。そこに学校の存在意味があると考えたんです。
「授業の内容はどんなものだったんですか?」
ここでひとつずつ紹介することは出来ませんが、2年間の授業カリキュラムは時間をかけてすべて手作りしました。これをやったら、その次にこれをやる。これをやるには、その前にこれをやっていなければ、という具合に2年分のレッスン・カリキュラムを細かくつくりあげたんです。これには、かなりの時間と労力がかかりました。
それまでは2年分の授業カリキュラムなどなく、それぞれの講師の裁量にまかせて授業してましたから。でも、認可校となるとそうはいきません。文部省の定めた指導要綱がありますから。
「音楽教室でも教えていますが、専門学校と数え方のちがいはあるんですか?」
街の音楽教室は、プロをめざすというよりも楽しみで通う人が多いですよね。ロックやジャズや吹奏楽なんかをやってる人たちが、もっと上手くなりたくて教室の扉を叩く。街の音楽教室って、そういうところなんですよ。そこは、私のようなドラマーをつくり出すところじゃなくて、生徒さんのやり方を伸ばすところなんです。だから、生徒さんの叩き方を私のように直したりはしません。まちがいじゃないのなら、違ったやり方をしていてもいいんです。それがその人にとって、いちばん自然なやり方なんでしょうから。
そもそも叩くという動作ひとつをとってみても、みんなやり方が違うんですよ。おなじようにやってるようで、細かく見ていくとぜんぜん違う。だから、私のやってるように直したってダメなんです。個々の生徒さんの指や手首や腕の動かし方の違いを認めた上でレッスンして行かないと、生徒さんは自由に伸びて行かないんですよ。
こういう教え方になった背景には、私の師匠の影響が大きいかも知れませんね。
「師匠って、どなたですか?」
過去に3人の先生に習いましたが、そのなかのひとり、パーカッショニストの吉原すみれ氏からは、音楽は結果がすべて、ということを教わりました。どう叩こうが、いい音が出ている、という結果があればいい、という合理的な考え方につよく影響を受けたんです。
極端な話ですが、油絵を描くとき、絵筆の持ち方なんて、どうだっていいでしょ。ちゃんと絵が描ければいい。グリップとかショットもおなじだと思うんです。どう叩こうが、それでいい音が出るなら、それぞれがいいと思うようにやればいい。
でも、そうじゃない考え方の一派があることを知らないわけじゃありません。そういう考えの人たちは、いい音を出すには、プロセスが重要だとして、徹底的に打ち方の基本動作を反復練習します。そういうやり方もあるんです。
「打ち方のプロセスを重視するモーラー・システムもそのひとつですか?」
そうですね。モーラー・システムというのは、アメリカの歴代のスネア・ドラマーの動きを分析したらこんな共通点がありました、という最大公約数的な叩き方の集大成ですからね。
ただ、そこで注意しなければならないのは、モーラー・システムはあくまでもいろんな奏法のひとつであって、究極の答えじゃないということです。最良の叩き方は、それぞれのドラマーが自分の身体的な特徴とよく向き合って、長い時間をかけて見つけ出していくべきものですよ。モーラー・システムには参考にすべき点がたくさんありますが、あれこそが究極の奏法なんだと視野を狭めてしまうと、大切なものを見失ってしまうでしょう。
「ペダルの奏法についても、おなじ考えですか?」
ペダルについても、私の考え方はまったくおなじです。カカトをペダルにつけて踏もうが、カカトをあげて踏もうが、自分のやりやすいようにやればいい。有名なドラマーがやっている踏み方だから練習してる、なんて話を耳にすることがありますが、努力するのは大切だけれど、私はあんまりオススメしません。
と言うのも、ペダルの踏み方(つまり奏法)が決まる背景には、そのドラマーの出したい音が大前提にあるんです。その音は、ヘッドの張り具合、ミュートの仕方、ビーターの長さ設定といったハード面だけでなく、演奏者の体格や脚力という肉体的な問題も関わってきます。それらがあってのペダル奏法なんですよ。だから、表面的な踏み方だけをマネしても、あまり意味がないんです。そんなことより、なにが自分に合っている奏法なのかをよく見きわめて、その奏法を徹底的に鍛えあげるほうがずっといいと思います。
「話を聞くかぎり、あまりテクニックの指導はしないほうですか?」
そんなことはありません。テクニックはあったほうがいいし、レッスンにも採り入れています。ただ、テクニックが必要なのは、それを使って表現したいことがあるからなので、目的もなくただテクニックを身につけても意味がありません。大切なのは、このテクニックをつかうとこんな表現ができるようになるという、技術と表現をつなぐパイプなんです。それを見せてあげるのがレッスンの役割かも知れませんね。
「ふだんのレッスンで、いちばん大切にしていることは何ですか?」
とにかく楽しむこと、これに尽きます。
レッスンの日は、雨の日もあれば、雪の日も嵐の日もあります。
「あぁー、こんな日にかぎってレッスンかぁ。行くのよそうかな」なんてこともあるでしょ。そんな生徒さんがレッスンを終えて帰るとき、「やっぱり来て良かった」と思ってくれるかどうか。それが一番大切なんですよ。だから、いつも生徒さんの笑顔を思い浮かべながらレッスンの内容を決めているんです。
どんな音楽教室もおなじだと思いますが、みんながプロになるためのハード・トレーニングを望んでるわけじゃありません。もっと楽しみたい、もっと知りたい、もっと深めたい。そういう多くの生徒さんの望んでいることを理解してないと、ただきびしいだけのつまらないレッスンになってしまいますからね。
「最後に、ドラムのレッスン・プロになるにはどうしたらいいんでしょうか?」
大手の楽器メーカーが開いている音楽教室の講師になるには、例外もありますが、試験を受けなければなりません。それ以外のところで教えたいのなら、それぞれの教室で講師を募集しているどうか、問い合わせることが必要でしょう。
とにかく、働きかけることですよ。教室に連絡をとって「講師をやりたいのだけど」と売り込んだっていい。とにかくやってみることです。そうしなければ何も始まりませんから。
かつて、吉原すみれ氏に言われましたよ。「あなたがたとえ一流の演奏家になったとしても自分から売り込んでいかなきゃ、誰も仕事なんてくれないよ。待っていたって ダメ』ってね、世界のトップ・パーカッショニストの吉原氏にそう言われたんです。
Aさんもどんどん動いてください。黙って待ってちゃダメ。
それと、教えるのもいいですが、プレイヤーになることも大切です。プロとして演奏したこともない人に教わりたいとは誰も思いませんからね。プロの世界での経験は、教えるときにかならず役立ちます。そういう経験がない人は、どう教えていいかわからないこともあるでしょ。だからと言って、いいプレイヤーがいい講師になれるわけではありません。そこがむずかしいところなんですけれど。
とにかく、動くこと。働きかけることです。あなたが扉を叩かなけりゃ、誰も開けてはくれませんからね。がんばって。
それでは、次回、またお会いしましょう!
■市川宇一郎(いちかわういちろう)プロフィール
1954年、東京都生まれ。
学生時代からジャズのライブハウスなどに出演。
卒業後、ジャズ・ピアノ・トリオを中心にプロ活動をはじめると同時に、音楽専門学校の講師としてリズム教育にも従事。音楽雑誌の執筆や著作活動に重点を置くようになる。
86年には、プロドラマーの自主的勉強会として「ジャパン・ルーディメンツ・クラブ」を主宰し、独自の練習メソッドや会報を作成する。
現在は、執筆活動とともに浅草ドラム道場(コマキ楽器)等で後進の指導にあたっている。
著書に、『ロック・ドラム練習のコツ教えます』(ドレミ楽譜出版社)、『続・リズムに強くなるための全ノウハウ』(中央アート出版社)、『リズム・トレーニング強化 書』『極私的モダン・ジャズ・ドラマー論』(ともに音楽之友社)ほか多数
執筆者:市川 宇一郎