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【追悼特集】Alan Abel アラン・エーベル
アメリカ、フィラデルフィア管弦楽団元副首席打楽器奏者、アラン・エーベル氏が、2020年4月25日土曜日、新型コロナウイルス感染に伴う合併症によりご逝去されました。91 歳。
ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
アラン・エーベル氏の門下生である大里みどり氏にご協力いただき、ご自身はもちろん、兄弟子にあたる現フィラデルフィア管弦楽団首席ティンパニ奏者Don Liuzzi 氏からのエピソードや写真などを届けていただきました。
※この記事は2020年7月10日発行「JPC 165号」に掲載された記事に加筆・修正を加えたものです。
Alan Abel アラン・エーベル
1928.12.6-2020.4.25 享年91 歳
7 歳より打楽器レッスンを始める。
イーストマン音楽学校を卒業後、アメリカ空軍バンドへ入隊。
その後、オクラホマ市交響楽団を経て、1959 年フィラデルフィア管弦楽団(ユージン・オーマンディ)入団、副首席打楽器奏者(1972-1997)をつとめた。
1972 年よりテンプル大学大学院にて指導を始める。世界中のオーケストラ・オーディションの課題曲を自ら集計した教材(楽譜+ 音源)による個人レッスンに加えて、定期的に打楽器セクショ・マスタークラスも行いアンサンブル力も養う、各団体・指揮者の傾向と対策を、現場の経験を加え指導する実践的な内容。世界中に100 名程の門下生がいるが、アメリカ・ビック5はもとより全・アジア諸国のプロ・オーケストラ、陸海空軍バンドで打楽器奏者として、また音楽大学の打楽器指導者として多数活躍している。
長年の功績が認められ、1988 年フィラデルフィア管弦楽団C.Hartman Kuhn 賞(最優秀演奏家賞)、全米打楽器協会(Percussive Art Society)のHall of Fame( 殿堂入り)、2005年フィラデルフィア名誉市民賞を授与される。
Alan Abel トライアングル、Bass Drum スタンド、Bass Drum ビーター、Triangleホルダー開発・制作。SABIAN 社の終身エンドーサー。
新型コロナウィルスにより逝去。
先生の行動や思考は常に他への「愛」で溢れていた
寄稿:大里みどり(フリー打楽器奏者)
エーベル先生との何かエピソードをと言われ、どれか1つを選ぶことはとても難しい。先生と過ごした時間は一瞬たりとも忘れたくない、貴重で、いとおしいものだ。
先生から、音楽的・技術的な学びはもちろんのこと、「生き方」にも大きな影響を受け、まさに人生の師という存在だった。
先生は、その行動や思考は常に他への「愛」で溢れていたように思う。常に謙虚・親切で、どんな小さな作業にも丁寧で几帳面、細やかな心配りを忘れず、努力の人であった。 他者へは、互いの違いをまずは前向きに受け入れようとする心の持ち主で、いつも穏やかな温かな笑顔と誰も傷つけないセンスのいいユーモアで、その場を大いに和ませた。しかし普段はさほど饒舌ではなく、物静かな人だった。 彼の人となり同様、その演奏スタイルは、アンサンブルへの細やかな思慮とバランス、そして必要な時には大胆なアプローチで音楽を何倍にも魅力的にした。レッスンの時、常に言われたのが、“Follow the line”- 自ら奏でる音がその音楽全体にあっているかどうか、音楽の流れに気を配ること、であった。
生活も音楽に対しての考えも、古くからの伝統的なことを重んじながらも、過度の先入観に囚われすぎることなく、また新しいことへの好奇心も旺盛で、まるで新しいおもちゃを得た子供のようにいつもワクワクしていた。70 歳を過ぎてからパソコンを始め、80 歳すぎてiPhoneを使い、新しいマレットや製品が発売されると自ら取り寄せて試奏・研究しつくし、良いと思ったものは、それが無名・有名関わらず、どんどん広めた。
誰かに何かをしてもらうのを待つのでなく、まず自分が先に動く、という人だった。
多くのボランティア活動にも参加していて、町内会の役員、オーケストラでは楽曲で使用する楽器と各奏者の担当楽器のリストを自ら作成したり、教会では施設のペンキ塗りや修復などの計画と手順作業作成、ホームレスの方々へのフードバンクの担当もしていた。
先生は自分を『なんでも屋』と称して、配線工事、塗装、家の修理など何でもやった。困っている人がいれば、迷わずいつでも手を差し伸べるような人だった。
先生の個人レッスンは、自宅の地下に自身で造ったスタジオ(ダンジン『本丸(城の中心)』と呼ばれていた)で行われたが、私たちがスタジオに到着すると、まず先生手ずから紅茶をいれてくださった。大きなマグカップにたっぷりの紅茶、先生のお気に入りはそこに砂糖小さじ2。レッスン中の私は緊張して飲めるわけもなく…、
レッスンが終わるころ、集中しすぎてすっかり疲弊してしまった私たちに、奥様は、再び温かい紅茶とお手製のチョコチップ・クッキーを差し入れてくれたものだった。
奥様を一言で表現するなら「太陽のような人」だろうか。ご家族、生徒にとっても、もちろんのこと、ご近所、スーパーマーケットの店員、郵便配達人、道で初めてあった人でさえも、一瞬で仲良くなってしまう。
どんな人へもフレンドリーで平等に接し、いつも元気に満ちた笑顔と、困った人を放っておけない精神と行動力・愛に溢れた人。にぎやかな奥様と物静かな先生とのバランスも絶妙であった。
音楽家として、一市民として、家庭人として…たくさんの役割を担っていた先生は、本当に常に多忙であった。夫妻は、卒業した後でも、第二のお父さん、お母さんのように、私たち弟子をいつでも温かく迎えた。大きな仕事やオーディション前に臨時の直前レッスンを頼めば、忙しい合間に時間を割いて、じっくりとレッスンしてくれた。ご自身の経験から得られた技術や膨大な情報を、良いことは皆で共有して広めていければいい、と、いつも惜しみなく提供してくれた。
そして、もちろん実の家族との時間も大事にされていた。 クリスマス等の集いなどは欠かさず企画され、一族は孫・曾孫まで一堂に集まる。満面の笑顔で集合写真を見せてくれた。
同じ大学の出身である奥様と卒業後すぐに結婚、連れ添って67 年、素敵なご夫婦がつくった幸せ一族であった。
Alan Abel トライアングルは、先生のスタジオで、先生自身で全て検品・試奏・梱包して世界中に送り出してきた。この楽器を手にした人が満足して使ってくれること、その音色を聴いた人が心から音楽を楽しんでくれることを願っていた。
大の親日家で、日本メーカーの電化製品・車・日用品を好んで所有していた。日本最大の打楽器専門店コマキ楽器で自身のトライアングルが販売されたことが誇りだったという。門下生の間でJapan Percussion Center は有名だ。ビジネスが始まって、先生は、その当時アメリカでは存在しなかったビーターセット(5 種類各2本ずつ+ケース付き)を自ら買い求めて本国へ持ち帰り、門下生に無償で与えていたのだ。
トライアングルのレッスン・演奏の現場でこのセットは大活躍している。
ビジネス面でも、先生はいつも相手の立場を思い、そして互いに公平で、高め合っていける「愛」のある関係をとても大事にしたのだと思う。
「愛」を大事にする生き方の先生の奏でる音楽は、心の奥深くまで届き、魂を感動で震わす。
私が13歳の時、はじめてフィラデルフィア管弦楽団の演奏を聴いた時から感じていた、なにか目に見えないもので、それはこの「愛」なのだと、門下生になって知った。
素晴らしい先生に巡り合うことができたことに非常に感謝し、これからも先生から頂いたたくさんのことの、その一部でも引き継いでいけるような活動をしていきたいと、改めて強く思う。先生、ありがとうございました。
大里みどり プロフィール
埼玉県川口市出身。市立川口高校卒、社会人を経験後、武蔵野音楽大学打楽器科卒、米国IndianaUniversity-Bloomington, Performer Diploma 修了。
アスペン国際音楽祭へ奨学生として参加後、単身フィラデルフィアへ移りAlan Abel 氏の門下生となる。故小林美隆、上野信一、高井豊哉、三宅隆文、Gerald Carlyss(元フィラデルフィア管)、Tom Stubbs(セントルイス響)、Don
Liuzzi、Chris Deviney( 共にフィラデルフィア管)諸氏に師事。現在は、フリーで国内外のオーケストラ、各種音楽団体にて演奏、録音・TV・CM・映画での活動のほか、ジュニアオケ、中高・大学・社会人オケや吹奏楽部でのセクション指導や個人レッスンも行う。
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助言を求めてくるすべての人に、音楽家として、一人の人間として、いつも親身で真摯に対応してきた人
寄稿:ドン・リウツィ(フィラデルフィア管弦楽団首席ティンパニ奏者)
素晴らしい打楽器奏者、打楽器指導者、Alan Abelトライアングル制作、バス・ドラムの吊りスタンドの開発者、そして多くの弟子、打楽器奏者、音楽家へ多大な影響を与えてきた、アラン・エーベル先生。
より良いリズム、音色への探求を常に続け、また音楽的・技術的はもとより、音楽的に「歌う」ことに悩む人や、個人的な生き方そのものなどの問題を抱えて彼を頼って助言を求めてくるすべての人に、音楽家として、一人の人間として、いつも親身で真摯に対応してきた人だ。
先生との最初の『レッスン』で受けた衝撃は、一生忘れることはないと思う。それは、先生が指導するテンプル大学大学院に入学する為の実技試験でのこと。
最初何も言わずに私の用意してきた課題をじっくり聴いてくださった上で、更により良い演奏になる為の、技術的、音楽的表現アプローチを一緒に取り組んでくださった。
技術的問題の他に、音色の選択、そして不安定になりがちなリズムの修正のしかた、リズムから生まれるフレーズの歌い方などにも取り組んだ。それらは深い知識と研究、長年の経験に裏打ちされた説得力のある内容であり、演奏の問題は解決され、大いなる驚きと感動の連続。実技試験は濃密な内容の2 時間の『レッスン』になり、「先生と勉強していきたい!」 と改めて深く決意した。
先生はユーモアのセンスも一流だった。 大学院に入ってすぐ、フィラデルフィア管弦楽団の仕事でのこと。 昼食休憩のためにホールの外に出た私たちは、歩道を削岩機で工事している爆音にでくわした。 その場を通り過ぎた後に、私が先生に質問したくて話しかけたが、先生の口は動いているが声が聞こえない。
「え?え?え??」と焦る私をみて、先生は目をキラキラさせて大喜び。
先生は、声は出さずに口だけ動かして、爆音のせいで私が「耳が聞こえなくなった!?」と思わせる、という冗談を仕掛けてきたのだ。 そこにいた仲間も大笑いだった。
私たちは、先生の多種多様な冗談に、たびたびひっかかったものです。
私がフィラデルフィア管弦楽団に入団したばかりの頃には、慣れない環境の私に常に気を配ってくださり、また、一緒に演奏させていただく環境からたくさんの学びを得られたことも貴重だった。数年後に先生は勇退されたが、その後もリハーサルに可能な限り足を運んでくださり、様々な助言をくださった。ほとんどの演奏会に来場され、演奏後には舞台裏に寄ってコメントをくださり、常に温かく励ましてくださった。そのような心温まる、細やかな心遣いと的確なアドバイスは、私たち打楽器セクションのメンバーの大きな心の支えであった。
最愛なる先生、あなたは私にとってかけがえのない無二の存在です。
あなたが与えてくださった多くのことを、これからも私は決して忘れません…。
(翻訳:大里みどり)
Don Liuzzi / ドン・リウツィ プロフィール
テンプル大学大学院(ペンシルベニア州フィラデルフィア)にてAlan Abel氏に師事。ピッツバーグ響にて打楽器奏者(’ 82-’ 89)、フィラデルフィア管弦楽団首席ティンパニ奏者(’ 89 ~現在)、Network for New Music 主宰(現代音楽グループ)他にて活動。
日本ではセイジ・オザワ松本フェスティバル、PMF へも出演、世界各地で演奏・指導者として活躍する。
Abel 氏の勇退記念パーティーおよび記念演奏会(共演NEXUS、フィラデルフィア管弦楽団打楽器メンバー)・音源録音もプロデュースする。
写真で振り返るアラン・エーベル氏の想い出
※貴重なお写真を大里さんよりご提供いただきました。
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You Tubeで見るアラン・エーベル
“Timelines” featuring Alan Abel
Michael Udow : comp.(2004)
Alan Abel : Solo
Michigan University percussion ensemble(directed by M.Udow)
Abel 氏のためにUdow 氏(門下生)が作曲したアンサンブル曲
Alan Abel Retirement Film "Philadelphia Sounds"
1998 年に行われたAbel 氏の勇退記念パーティーで上映された映像です。
(Don Liuzzi :producer)
Alan Abel ~Percussion Legend~
テンプル大学でのオーケストラ・スタディのセクションレッスンの様子が紹介されています。
(テンプル大学 提供)
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※この記事は2020年7月10日発行「JPC 165号」に掲載されたもに加筆・修正を加えたものです。掲載内容の一部は当時のままとなっておりますので予めご了承願います。