つっちーの太鼓奇談
つっちーの「太鼓奇談」第十回|熊の穴籠もり... 読書、断捨離、思うこと
※この記事は2016年1月発行「JPC 147号」に掲載されたものです。
JPC 会報をご覧の皆様、あけましておめでとうございます。
2016 年最初の太鼓奇談です。またこの誌面でみなさまと与太話に花を咲かせるコトが出来て大変嬉しく思います。今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。
さて、世間的にはもう正月も明け、七草も過ぎ、もうすっかり日常に戻って
いるわけです。
僕はといえば、例年は一月から三月くらいというこの時期、仲間内では「氷河期」と言う程仕事が暇な時期でありまして、懐も天気も寒々しい時期となっております。
年末年始の忙しさ、ひいては去年の「一体どうなってるの?」と言う忙しさに追われ、ほったらかしになっていた自分自身のことをいろいろ片付けるのにはいい時期なのかもしれませんね。とは言え、新年早々から高橋幸宏さん率いる、と言うかもう普通にバンドになりましたMETAFIVEがレコ発ライブをやるっつーことでただいま絶賛リハーサル中でございます。去年のワールドハピネスという夢の島で開催された夏フェスで新曲の幾つかはお披露目されましたが、ついにフルアルバムがリリースされるわけです。
これ、マジでかっこいいですよ!バキバキのテクノ・ニューウェイヴサウンドです。是非御一聴下さい!
とは言え、みっちり仕事が詰まっているというふうでもなく、割とのんびり暮らしているこの時期、大量の積ん読本を消化する、いわば「熊の穴籠もり」のような時期なのですね。
これはこれでとても大事なことです。
人は忙しいと欲求不満になり、そのストレスを色々な形で発散するわけで、その発散の仕方も十人十色です。まぁ、人に迷惑をかけなければいいとは思うのですが。
僕の発散方法はズバリ「買い物」だったりします。それも洋服とかではなく、本やCDに集中します。
ツアー先でのオフ日、訪れた街をちょっと散策していると、何かよさげな本屋さん。チェーン店系ではない、個人でやっている本屋さんですね。古本屋でもいい。そういうところを見つけてしまうとつい、フラッと入ってしまいます。
その土地の郷土史だったり、有名な作家さんがその土地の出身で、著作が全部揃っていたり。ずっと探していた本が見つかったり。気がつくと僕のスーツケースには着替えよりも本が多くなっていることがよくあります。
それだけならまだいいのですが、現代には困ったことにAmazonという魔窟が広がっていて、ちょっとサーチすると、「あ、それありますよ~」と親切に教えてくれるわけです。こうなるとその術中にハマってしまった僕らの負けです。
ストレスフルな僕らは夜な夜な旅先のホテルのベッドで「ポチる」わけで。
家に帰るとAmazonのダンボールが山と積まれていて、それを毎日受け取る母親からは無言の圧力が伝わってきます。
いつもいつもごめんなさい。
それらのダンボールを抱えて自室に籠ると時間というのはあっという間に過ぎ去って行ってしまいます。一晩に読める本は限られております。気がつくと僕の部屋には積読本の山が出来上がっています。その積読本を消化するのにこの氷河期という時期がとても大切なのですね。
仕事がなく、暇なのをいいことに一日中部屋に籠って読書三昧音楽三昧映画三昧の日々。これでお金が稼げたらどんなにいいだろうかと思いますが、書評も音楽評も映画評もかけませんので、それもまた夢物語ですね。
よく「いつもどんな本を読んでるんですか?」なんて聞かれますが、これも殆ど適当で、その時々で好みは変わります。SFが好きな時もあれば、時代小説が好きな時や、哲学書、純文学、私小説、神話、漫画、ナンセンスやデカダンス、なんでも良いのです。ちなみに今、目の前の積ん読本には何があるかと言いますと…「沢木耕太郎・深夜特急・全六巻」「赤瀬川原平・オブジェを持った無産者」「新潮2015 /10・筒井康隆・モナドの領域」「谷崎潤一郎・痴人の愛」「Adobe・Illustrator /操作とデザインの教科書」「矢部宏治・日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」「高橋源一郎・「あの日」から僕が考えている「正しさ」について」てなところでしょうか。
すでに読んでしまった本も含まれていますね。僕は飲み込みが悪いので同じ本を何度も読み返すので、一度読んだ本をそのまま閉じて本棚にしまうということはありません。映画も音楽もそうです。棚に入るということはよっぽど好きな作品だということになります。本当なら、手に入れた作品は全部手元に置いておきたいのですが、六畳間には限界があります。厳選したブツだけが残るわけですね。
嫁いでいったドラムセットたち
去年はここ数年地道に行ってきた断捨離の最終段階の一年でした。主に楽器たちを減らしていったわけですが、このことを友人達に言うと、皆口を揃えて「もったいない!」と言います。いや、ずっと使わずにしまいこんでいる方が勿体無いと思うよって言うと、みんな納得してくれます。
ドラムセットに限らず、楽器は音を出してあげてナンボです。
タンスの肥やしになるなら、使ってくれる人に譲った方が楽器も喜ぶだろうと思い、思い切って数セット手放しました。
みんな喜んで使ってくれています。ありがたいことです。
僕がラッキーなのは見ず知らずの人に持って行かれることがなかったということです。その楽器に会いたくなったら、いつでも会える友人のところに旅立って行きましたから。
というわけで、僕の手元に残ったセットはピンクのロジャースとラディックのアクロライトが二台、5”と6.5”、ロジャースの8”スネア、シンバルが2セット。それだけです。
僕はプロの演奏家ではありませんので、これで充分、贅沢すぎるくらいだと思えるようになりました。
周りの同業者、楽器テックの友人たちは皆、次から次へと楽器を手に入れています。それはそれでとても楽しいことです。僕も仲間から新しく手に入れたギターやベース、アンプやエフェクター、ドラムセットの話を聞くのはとても楽しいものです。ただ僕自身がもう新しい楽器を手に入れることにあまり興味がなくなってしまっただけで、その原因はやっぱり、「この楽器があればもう何もいらない」と思える楽器に出会えたことが一番だと感じています。皆さんも毎日試行錯誤して楽器と付き合っているかと思います。みんな人生における「究極の一台」を求めてさまようわけですからね。
その究極の一台に出会えた、いや、出会った時はまだ究極の一台というわけではありませんでした。色はいいけど、サウンドがいまいち決まらないんだよなぁと、本当に色々試行錯誤しまくった結果、数年間をかけて究極の一台に成長したというのが本当のところです。その間、何が一番変わったかというと、実は楽器より自分自身が変わったのが大きいと思います。
2015 年は僕にとって、過去例を見ない程充実した年でした。
自分が若いときから憧れていたミュージシャンの皆様とご一緒できたこと、それも一度だけではなく、ワンツアー、2 ヶ月間ずっと一緒だったり、違う現場で何度もご一緒することになったり。自分のルーツを再確認どころか、目の前で実演として見せつけられる良い機会が目白押しだったのです。
そこで僕はきっとどんどんシンプルになっていったのかもしれません。とても大事なことです。本物のバイブレーションを長期間にわたって目の当たりにしてしまい、邪念というか、煩悩というか、そう言ったものが洗い流されてしまったような感じなのかもしれません。
とはいえ、自分自身のスキルが上がったかというと、これまた全くそんなことはなくて、イメージと実際のギャップに「ありゃ~…」と思うことばかりです。
でもいいのです。僕は僕。そこに気がつけただけで、自分の才能の底を知ることができて良かったのです。
「あ、こんなものだったんだな、俺は」とわかったからこそ、フラットに音楽に向き合えることができるようになったと感じています。とても清々しい気分とでも言ったら良いのでしょうか。
そんな中、去年の夏終わりくらいだったか、友人と食事をしている時に紹介された方で占いをしているという方がいて、面白そうだから見ていただいたのですが、去年の僕は人生における最高の一年だったそうで、なるほどそりゃそうだよね。と一人膝を叩いて納得してしまいましたw
と、同時に去年が最高なら、あとは落っこちるだけなんだと自覚を持つことができたのです。なるべくゆっくり落ちていって欲しいとは願いますが、そこは神のみぞ知る。というヤツですね。ま、楽しくいきましょう。こんな時代だからこそ。
今年は2016 年で、2020 年の東京オリンピックとやらまであと四年。僕はその頃ちょうど五十歳です。
このオリンピックとやらのおかげで、東京は大騒ぎです。
1964 年以来のスクラッチ&ビルドが始まっています。
都内のあらゆる建物が壊され、建て替えられる。本当にその必要があったのだろうか?と疑問を持たずにはいられません。施設の老朽化というのがおきまりのセリフですが、通り一遍の規則とやらで街のランドマークを叩き壊して良い訳がありません。
数々の歴史をその壁に刻んできた名建築をどうしてそんなに簡単に葬り去ることができるのか。
日比谷公会堂やホテル・オークラ本館などは重要な文化遺産だと思うのです。日比谷公会堂については取り壊しではなく、耐震化工事が入るということですが、あの美しい外観を、無粋な鉄骨で覆うというのはどう考えても許せません。
オークラ本館に関してはもうこの世に存在しないのです。
ベスト・ジャパニーズ・モダン・アーキテクチャと評され、各国のVIPを迎えたあの建物がなくなるのは大きすぎる損失です。今更嘆いても仕方のないことなのですが、新しく出来上がる本館があの雰囲気を継承してくれることを願ってやみません。
今の時代、衰えて古くなったものを享受できない時代なのかもしれません。
テクノロジーの進歩で誰もがいろんな分野で一定の結果を出せるかのように見える時代ゆえ、世間の風潮として、「もっともっと」と過剰に要求してしまい、その空気の中では衰えて古くなったものは「反応が悪い、不便、使えない、安全ではない」などとレッテルを貼られて葬られてしまいます。しかし、僕らより長くこの国に存在して、風雪にも耐え、あの震災からも生き残り、時代の息吹きをその壁に蓄えて来た者たちをどうして葬れるのか。
時代に応じて生まれ変わるのが都市の宿命だ
そうかもしれません。きっとそれは間違いのない事実なのでしょう。
ある人はこう言いました。
いまの時代、若い人たちがレトロなことに興味を持って、江戸時代や明治大正の文化を知る事が流行っているけれど、それ自体はとてもいいことだと思うんだ。でもそれは裏返すと、いまの若い人たちにこの国の“ 未来”が見えないから、ノスタルジアに身を預けるしかないんじゃないかと思うんだよね。そう考えるとちょっと可哀想に思えるよね
新しい文化は過去の反芻から生まれるわけで。未来のために、過去の遺産を大事に伝えて欲しいなぁと思うのです。長い歴史から見たら僕だってまだ「若者」なんですからw
素敵なものはいっぱい知りたいのです。
気がついたら「太鼓奇談」の「太鼓」が抜け落ちて、「奇談」のみになってしまいましたw
今年もこんな調子でお付き合いくださいませ。
ではまた、御機嫌よう。
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMOの高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO)、松本隆(元はっぴぃえんど)、林立夫(TinPan)細野晴臣、[Alexandros]、ゲスの極み乙女。星野源、などのツアーやレコーディングに携わっている。
自身のバンド254soulfoodでは地元のクラブ鶴瀬パオパオで定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。
執筆者:土田 ”つっちー” 嘉範