つっちーの太鼓奇談
つっちーの「太鼓奇談」第十一回|仕事とプライベート サウンドメイクの違い
※この記事は2016年4月10日発行「JPC 148号」に掲載されたものです。
JPC 会報をお読みの皆様、こんにちは。
毎度おなじみの太鼓奇談のお時間がやってまいりました。
数えてみればこの連載も十一回目となりました。
さて、今回は何を書こうかと原稿の依頼を頂いてから、何も書かれていない画面を眺め続けること数週間。
一向に筆が進みません。
もう一度西尾店長からのメールを読み返してみますと、
「最近、つっちーさん個人の(演奏)活動をいろいろとお見受けすることが多いので、自分の楽器に対するサウンドメイクと仕事でのサウンドメイクの違いなどを書いていただくと面白いかも」とありますので、これは編集者の言うことを忠実に守って書かなければなりません。笑
と、いうわけで、今日は珍しく楽器の話でも書いてみましょうか…。
仕事とプライベート、誰もが一線を引く部分ですね。
仕事の時間というのは自分の時間を切り売りするわけで、単に時間だけではなくそこにスキルや実績、経験など付加価値が増えればその報酬もそれなりに上がっていくというのが一般的な認識ですね。
プライベートというのはまさに「自分のため」の時間であったり空間、色や音、匂い、味覚や肌触りなど、自分の価値観だけで成立している世界です。
仕事というパブリックな場面とプライベートという超個人的な場面の共通項が多ければ多いほどその線引きはどんど曖昧になってしまいます。音楽家は割とその線が曖昧になりがちな職業かもしれませんね。いい演奏を続けるためには日々の練習が欠かせませんから、プライベートな時間も仕事をしていることとなります。断言はできませんが。
僕は仕事の時に一番気をつけることは、「エゴを捨てる」と言う一点なのかもしれません。
純粋に音楽が何を求めているか、その曲はどんなサウンドで鳴り響きたいのか、それだけを考えて楽器に向き合います。もちろん、ドラマー本人や作詞作曲者、プロデューサー、エンジニア、いろんな方々の意見も聞き入れます。でも一番大事なの音楽です。耳を研ぎ澄ませてその音楽に入り込んだその一瞬にサウンド捕まえます。
そこにエゴはありません。僕がこうしたいから、僕がこれが好きだからといって押し付けることはしたくないのです。
自然ではないのです。だって僕はあくまでも裏方で、実際に演奏に参加するわけではないのですから。
そこにあるドラムセットをプレイするドラマーが、心置きなくその音楽に没頭できる環境を作るのが僕らの仕事です。
そこに僕のエゴが入る余地は全くありません。
ただ、稀にそのエゴを求められる時もあります。その時は、状況を把握し、必要に求められただけのエゴを「提案」させていただきます。自分のエゴを出してしまうと途端に視野が狭くなってしまい、身動きが取れないような感じなってしまいます。僕の仕事をする上での矜持なのかもしれません。
具体的にどう楽器をチューニングしていくかなんてことはここでは書きません。
音楽が鳴っているサウンドをどんどん捕まえてそれを手元にある楽器で「再現」する訓練と経験を積むしかないのですから。
僕は僕のやり方でしかできないし、実はものすごく不器用なのです。呆れるくらい。
エゴを捨てるということで得られる感覚として、「相手を思いやる」という感覚があります。
この場合の相手とは音楽そのものであり、それを演奏する演奏家にあたります。
ライブの場面、ドラマーの後ろでその背中を毎日見ていると、なぜか「あ、次の曲が終わったらお水を飲みたいんだろうな」などと、感じるのです。曲が終わった後にキャップを外したペットボトルの水をドラマーの左肘あたりに差し出します。
それに気づいたドラマーはそのまま喉を潤し、また僕の手にボトルを返します。
タイミングが大事です。
それを知るにはひたすら「見る、観る、視る」だけなのです。
音を聴くのではなく「視る」空気を読み、「見る」と言うことだと教わってきたのだと感じます。
これが「仕事」の時のサウンドメイクです。
では、プライベートです。
さぁ、こっちはガラリと変わってエゴ丸出しの世界です。笑
ドラムセットもチューニングも好きなようにしていいのです。どんな楽器を使っても文句は言われません。
本当でしょうか?
ここでもやっぱり大切なのは音楽ですね。
自分のやりたい音楽に即した音作りをしなければなりません。が!、何かと天邪鬼な僕はそんな素直に応じたりしません。なにせ自分のエゴを出していい場所なので、そこは楽しくやらせていただきます。自分丸出しです。笑
最近やっと自分の好みが少しだけ固まったようです。
どうやら僕は「ローピッチであんまり鳴らない、ドライな」サウンドが大好きみたいです。以前も書きましたが、その影響で、タム、フロアのボトムヘッドはメッシュヘッドになってしまったし、キックもびっちりミュートしてタイトなサウンドになっています。僕のセットに座って音を出した方々からは決まって、「全部ベコベコってなってるw」という反応です。いいんです。僕が好きでやってるんですから。
他の人たちのドラムセットや、その他の楽器、ギターやベース、キーボードなどなど、パッと見、定石と言われる形を踏襲するものが多いと思われがちかもしれませんが、その細部はこだわりの塊です。
ドラムセットなんてその最たるものなのではないかと感じます。だから未だに人様のドラムセットに座ると新鮮な驚きを感じるのです。「え!こんなセッティングでプレイしてるんだ!」「ペダルのバネ、キッついなぁ」「シンバル高っ」てな具合で誰一人として全く同じセッティングはないわけです。これはもう楽しくないわけがありません。今、ライブやレコーディングで一緒に仕事をしているバンドで、もはや飛ぶ鳥を落とす勢いで絶好調な[Alexandros]というバンドのドラマー庄村聡泰くんのドラムセットは一見、わりとよく見る2タム2フロアのセットですが、どっこい左手側の二枚のシンバルはまるでスカイツリーのように高くセッティングされているのです。ものすごく個性的なセッティングで、誰もが一度目にすれば忘れられない造形です。
しかし、サウンドチェックで僕がそのセットをプレイする時、大きな問題が生じます。そう、まともに当たらないのです。
その原因は最近特に酷くなってきた五十肩のせいなのです。
一生懸命腕を伸ばそうとするのですが、右肩が悲鳴をあげてしまう悲しさ…最近はちょっと慣れてきてコツがつかめてきましたが。笑
ハードロックやヴィジュアル系でよく見られる、まるで太陽の様に高くそびえ立つチャイナシンバルなんて、今となっては拷問以外の何者でもありませんが、それに対してNOという権利は僕には全くありませんし、そんな野暮は言うつもりもありません。その人の表現なのですから。
ドラムセットには「こうでなければいけない」というルールはないのです。人間の体の構造上、今の基本的な形が出来上がったというフォーマットがあるだけです。そこからいかにイマジネーションを膨らませて、目立とうとか、格好良いとか、女の子にモテるとか、対バンのドラマーに負けたくないとか、いろんな「エゴ」が渦巻いていって自分のスタイルを築き上げていくのだと思います。
それはとても大事なことです。一つだけルールがあるとすれば、周囲を不快にしなければいいということだけです。
独りよがりのプレイ、協調性がない、気遣い、思いやりがないというのはやっぱり戴けませんね。個性のぶつかり合いでも、お互いを「尊敬」し合ってからのスタートだと思うのです。
あ、また話が逸れてしまいました。
そんな五十肩に悩まされる僕のセッティングはわりとベタベタに低いものになっています。20”のキックに乗っかる二つのタムは水平に近く低くセットされていて、左右の二枚あるシンバルもその少し上にシンメトリーに置かれています。フロアタムは膝より低く、スネアはおへそくらいの高さで、この二つも真っ平らに置かれています。フロアの奥にはチャイナシンバル。フロアのっちょっと上です。真っ平らです。笑
ハイハットはわりと普通かな。ドラマー側から見た写真をご参考下さい。
今日も明日も僕は人様のドラムセットにお邪魔させていただき、そのサウンドを整えるお手伝いをさせていただきます。
たとえ、何度も組んだセットでもドラマーご本人のその日の体調や気分、演奏する音楽によってセットは猫の目の様にくるくる変わるのが常です。そこでいいアイディアを出せるかどうかも大切な仕事です。自分のバンドで演奏する時にその経験が生かされることもありますが、たま~に、「僕にも誰かアイディアを出してくれたり、自分とは違う耳でチューニングしてほしいなぁ…」と思うこともあります。そんな時はやっぱりドラマー仲間に意見を聞いてみて刺激を受けるのが楽しいですね。
ペダルのテンションやヘッドの種類、スティックやシンバル、椅子とか靴とか、話は尽きません。あれがいいこれがいいと楽しく話しているとその人それぞれの個性がわかってきて、とてもいい時間を過ごせます。
僕がこの仕事の好きなところかもしれません。
いろんな方々といろんなお話ができて、楽し時間を過ごし、いい音楽が生まれて行って、たくさんの方々がその音楽でまた楽しい時間を過ごしていただける。
1960 年代、ヒッピーの時代にこんな言葉がありました。
「すべての武器を楽器に変えよう」
今の時代には青臭い、現実離れした言葉に聞こえるかもしれません。しかし、どうでしょう?本当にそんなことが実現したらと考えると楽しくなりませんか?
イスラムのドラマーがダラブッカをプレイし、アメリカのギタリストがフェンダー・ストラトキャスターを弾き、中国の演奏家は胡弓を奏で、アフリカのパーカッショニストがジャンベで参加、日本の締め太鼓や三味線が唸ったところで、ドイツのシンセサイザーが鳴り響きスコットランドのバグパイプが共鳴する。
言い出したらどんどん出てきます。トリニダード・トバゴのスティールパンとバリのガムランの共演や、アフリカの親指ピアノとブラジルのパーカッションのバッキングで日本の雅楽が鳴り響いたり。韓国のサムルノリがブラジルのカポエイラと対決!なんて盛り上がるでしょう?
いつの日かそんな世界がやってくることを願って止みません。今回は少し長くなってしまいました。今年は大きな選挙も控えています。僕も自分でよく考えて一票を投じたいと思っています。こんなことを言うと、「土田さんは政治的な思想をお持ちなのですね」と言われますが、本音はただ、毎日いい音楽と可愛い女の子に囲まれて暮らしたいだけなんですけどね…。話が軽薄に落ちたところで、おひらきといたしましょうか。それではまた。お付き合いありがとうございました!
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMOの高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO)、松本隆(元はっぴぃえんど)、林立夫(TinPan)細野晴臣、[Alexandros]、ゲスの極み乙女。星野源、などのツアーやレコーディングに携わっている。
自身のバンド254soulfoodでは地元のクラブ鶴瀬パオパオで定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。
執筆者:土田 ”つっちー” 嘉範