つっちーの太鼓奇談
つっちーの「太鼓奇談」第二十三回|進化するほどにアナログに近づいていくデジタル
※この記事は2019年4月発行「JPC 160号」に掲載されたものです。
JPC会報をお読みの皆様、毎度おなじみ太鼓奇談のお時間がやって参りました。
今年も早いものでもう四月ですね。
春の香りが街を駆け抜けて、フレッシュな若者達が生き生きと街を闊歩する。
希望とエネルギーに溢れた芽吹きの季節。
そんな春先、今から五十年前の東京でとある出来事がありました。時は1969年、日本は高度経済成長時代。「消費は美徳」「三種の神器」「いざなぎ景気」 「もはや戦後ではない」というような言葉が飛び交い、日本人は敗戦からの復興そして技術革新、初の東京オリンピックを経て、爆発的な発展を遂げて来た過渡期に当たります。テレビではドリフターズの「8時だヨ!全員集合!」「サザエさん」「水戸黄門」「巨泉x前武のゲバゲバ90分」「キイハンター」「もーれつア太郎」「ハクション大魔王」「アタックNo.1」「クイズタイムショック」「題名のない音楽会」などなど、今のお若い方々にもどこかで聞いたことのある番組が 沢山生まれた年でもありました。また、音楽の世界ではLED ZEPPELIN,GENESIS,CARPENTERSなどがデビューし、国内でも遠藤賢司さん、井上陽水さん、ちあきなおみさん、内山田洋とクール・ファイブ、などなど、もう今でもガンガン現役だったり、伝説的な存在だったりする人々や番組が百花繚乱だった時代です。
遠く(当時はホントに遠かった)アメリカではウッドストック・フェスティバルが開催され、アポロが月面着陸をしてみたりと人類は物凄いスピードで走りまくっていました。
そう、ビートルズが解散したのもこの頃ですね。
学生運動も盛んでしたね。69年の2月だったかな?
東大安田講堂事件てえのがありました。
時代が生き物のようにうねうね動いていた1969年。
その頃に東京イチ地味な区としてひっそりと存在していた板橋区で、玉のような男の子が生まれました。武道を嗜む父と音楽やお芝居、そして洋裁やお洒落が大好きな母との間に生まれた、一族待望の男の子、何を隠そうこの僕ですw
自分が生まれて、今年で五十歳になるんですよってことをいいたいがために姑息な文字数稼ぎをしてまで話を盛る。
そんな僕の性格も高度経済成長時代の活気あふれる空気のせいかもしれませんね。
と、いうことで、やっと僕も五十代の仲間入りです。
五十歳になるなんて、この年まで音楽の世界で仕事しているなんて、全く想像もしておらず、かと言って別に感慨深い気持ちがあるわけでもなく、未だに親にも娘にも連れ合いにも心配され、風来坊で軽薄な生活を続けております。
世の五十代といえば…会社ではそれなりの役職に付き、子どもも大学生、郊外に一戸建てを持ち、バリバリ働き収入も安定し(これホント大事)人によっては富裕層なんてことになっている人もいらっしゃるでしょう。それに比べて僕と来たら…その日暮らしの風来坊、年がら年中からっけつの固太りのおじさんです。
トホホ…。
とは言え、自分の好きなことだけを続けてこられて、憧れの人々とお仕事したり、世界の素晴らしい音楽を目の前で体験できたりして、それはそれでこれ程幸せなことはないと、断言できるわけです。まぁ、キツいことややりたくない仕事も山のようにありますが、それはみんな同じですからね。
人生いろいろです。
音楽に関わり、ドラムと言う楽器に関わり、はや三十年超え、いや、ドラム始めてからは約四十年、この飽きっぽい男がよくまぁ続けてこられたもんだと自分のことながら感心しますw
これもひとえに僕をおぼえてくださっている皆様のおかげ。
感謝感謝の日々であります。
閑話Q題。
そんな僕の最近はといえば[Alexandros]、サカナクション、矢沢永吉さんのツアー、フジロックやサマーソニックなどの夏フェスのローカルクルーなどで一年はほぼ埋まってしまいます。去年は宇多田ヒカルさんのツアーも行かせていただきました。今をときめくバンドやアーティストの大きなツアーを回っていて最近良く感じるのが音響機器の技術の進歩、サウンドそのもののクオリティがとんでもなく上がってきたということです。
オールデジタルでコントロールされるコンサート音響の世界は日進月歩、いや秒進分歩、物凄いスピードで進んでいます。ということは人間がコントロールできることがどんどん増えていくということで、スネア一つの音に関しても、選択肢が山のように出てきます。
ドラムテックの仕事と言うのはその名の通り、ドラムのサウンドを管理することなのですが、この時代音響クルーとの連携なくしては良いサウンドを出すことは不可能と言っても過言ではありません。
一昔前までは「楽器がいい音を出していればそれでいい」なんて言っていましたが、今はそれ以上の話になってきました。
「ココで鳴っているこのスネアの音を更にいい音で客席に届けるためにはどうしたらよいか」ということを連携して突き詰めて行かないと仕事になりません。
楽器だけいじっていればいい時代はもう終わりかもしれません。楽器テクニシャンも音響の世界の専門知識をどんどん取り入れ、最新のテクノロジーを乗りこなす。そんな事が大事になっていると感じます。
もちろん昔ながらのシンプルなやり方も併用しながら、仕事を進めていくのですが。
僕はその数々のテクノロジーを体験するのが楽しくて仕方がありません。コンサートやレコーディングで今までは考えられないような効果を得られる快感はワクワクしますね。
具体的にどんな事になっているかというと、一昔前ですと、例えばキックのアタックが欲しい場合、まずはマイクの狙いを変える。チューニングを変える、ビーターを変える。
このあたりのことは今でも変わらないのですが、この先が大きく違います。内容は同じだけど手法が変わりました。
一昔前は音響エンジニアが「う~ん、もっとアタックが欲しいなぁ…バキって感じの」そこに返す僕「ちょっとチューニング変えたけど、こっちではアタック聴こえてるけどどうですかぁ?」音「あ~、まだちょっと足りないなぁ…」
的な感じで、なんとなくな感じで進んでいました。最終的には割と力技なEQやらコンプやらでまとめていたように思います。それはそれで時代の音としてよかったと思うのです。では今はというと…?
音「つっちー、キックのアタックもうちょっとほしいなぁ。」
僕「は~い、どのあたりですか?」
なんて言ってると、若い音響スタッフがiPadを持って僕のところに来るではありませんか。何事か?と思っていると、iPadで周波数帯域を視られるようになっていて、自分が今ココでキックを踏むと客席に出ている音がどういう周波数帯域で出ているのかがグラフになって可視化されているわけです。それを客席にいる音響エンジニアと共有して、どのあたりの帯域をどれくらい欲しいのかが瞬時に判るようになっているわけです。
だから、僕が変えたチューニングでどこの帯域がどれくらい出たり出なかったりするのか、マイクの狙い位置によってどう変わるのか、とても良く判るのです。
これ結構すごいことで、今までは抽象的にやっていたチューニングが完全にデータとして認識できる。キックのココをこれだけ締めるとこの帯域がグンと出てきて、それはアンサンブルに対してどう響くのか、この帯域が出てることにより、他の楽器の聴こえ方がどう変わるのか、必要なのか不要なのか、というよりは如何に自然にアンサンブルできるかということを、緻密に考えられるようになりました。
こういう事がわかるようになると、その機材がないところでも、「そういう耳」でチューニングができるようになります。
これ、実際とてもいい場合と、そうでない場合があります。
ココはすごく微妙な線ですね。いい面は素早く的確にチューニングできる。これは大概どこの現場でも求められることですね。サクサク仕事ができれば、それだけ余裕が生まれます。余裕のある現場は疲労度が桁違いです。
エンジニアからもミュージシャンからも、いい評価をいただきます。いいことだらけに見えますね。
では、良くない場面とはどういうことでしょう…?
答えは簡単。「データや解析に頼りすぎると音楽本来の響きを見失う」ということです。
80年代に音楽制作の世界にコンピュータが台頭してきたとき、人間では不可能な演奏を打ち込んだり、斬新なサウンドが生み出されて来ました。サンプリングやシーケンス、テクノロジーが生み出した音楽が世界を駆け巡りましたね。
あれはアレで僕は大好きなのですが、ある時ふと気がつくのです。五十年代~六十年代の音楽を聴いていたら、「この時代はシンプルな楽器編成でなんでこんなに豊かな音楽が奏でられていたのだろう…」と。
それは決してコンピュータの打ち込みでは表現できない音楽でした。ベニー・グッドマン、グレン・ミラー、キャブ・キャロウエイ、マディ・ウオーターズ、ハウリン・ウルフ、レイ・チャールズ、アリーサ・フランクリン、ジェイムズ・ブラウン、アル・グリーン、レッド・ツェッペリン、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キャロル・キング、モータウン、上げればキリがないキラ星のようなミュージシャンたち。彼らの音楽には豊かな躍動感があります。それは今でも変わらず聴き継がれていますね。微妙なアンサンブルの揺れ、バンドメンバーの演奏が生き生きと飛び跳ねて、グイグイグルーヴしてくるあの感じ。たまりませんね。とは言え、コンピュータの音楽を否定する気は全くありません。皆様御存知の通り僕は生粋のテクノポップ好き。
打ち込みの魔力ってのもあるのです。
自動演奏のロマンってのがあって、皆様の周りで例えるならば、オルゴールなんてわかりやすいですね。ネジを巻いて、机の上においてスイッチを押す。または宝石箱のフタを開けると、可愛らしい音色で美しい音楽が一時流れます。
ゼンマイ動力が弱くなるに連れてテンポが遅くなって行く感じも儚くて可愛らしい。
初期のテクノポップも実はとても人力で暖かみに溢れたものでした。当時の機材は繊細でちょっと熱くなると自動演奏がすぐに止まってしまったりして、神頼み的なファジーさがありました。とどのつまり何がいいたいかというと、物事は何でもかんでも「正解、正論」だけでは成り立たないということ。音楽という表現を分析し、データを取り検証し、それをもとに再現しても「なにか足りないなぁ」ってことになるのは、隅から隅までびっちり合わせちゃった事による、「伱間のなさ」が「情感や色気」を奪ってしまうからなのでしょう。もちろん緻密な分析を経験することはとても大事です。しかしそれを体得したらもう一度「伱間」を大事にしてみましょう。ワクワクウキウキしたあの感じ、今の時代、コンピュータでもそれが表現できる時代です。僕のようなおじさんがこんなこと言わずともイマドキの若者はコンピュータを使って楽勝でそういった表現をしています。
僕はそういう新しい音楽を聴くのが大好きです。
古い音楽を聴くのもこれまた大好きです。
まとめて言うと、この世界にはまだ僕の知らない音楽がたくさんあります。五十歳を迎えた今年はできるだけたくさんの知らない音楽に触れていこうと、偏見や先入観もなしにして、元からありませんけど、更にグローバルな視野でいろんなアートを体験していきたい、またそういうことを思える今の自分の立ち位置にも感謝しつつ、このターニングポイントを迎えてみよう、と想いました。
人の手が作り出すぬくもり、いびつだったり凸凹してるけど、手に馴染む感覚、それと最新鋭のテクノロジーで創られた完全に手にフィットする感覚、その両方を楽しみつつ仕事に行かせたら素敵だなぁと夢想している春なんです。
ギスギスしたニュースが多い中、いつも言っているけれど、こんな世の中だからこそ自己防衛としてのアートがとても大事だと思うのです。より良く生きたいですよね。
デジタルってどんどん発達していけば行くほどアナログに近づいていく。カクカクしたビットの粗さがどんどんなめらかになっていく。これからの世界はそんななめらかでソフトな方向に向かえばいいなと。その中で先鋭的な表現も過激な表現もどんどん出てくるでしょう。でもそのボトムには心があり、血が通っているはずです。
想像するとワクワクしませんか?僕だけ?w
一日が終わり、眠りにつくときに少しだけ思いを馳せてみてください。あ、眠れなくなっても知りませんけどw
楽しい夜更かしもいいものです。
そろそろページもいっぱいになってきた頃なので、このへんでお別れです。いつもお付き合いありがとうございます。
またどこかでお会いできるときまで、皆様の毎日が愛にあふれる素晴らしい日々でありますように。
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMO の高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細野晴臣、[Alexandros]、Diggy-MO'、LITE、
星野源、ピエール中野、RADWIMPSなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVAL やSUMMER SONIC などの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。
自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。