tucchie's Taiko Strange Story
つっちーの「太鼓奇談」第二十四回|テキトーと便利について

※この記事は2019年7月発行「JPC 161号」に掲載されたものです。
JPC 会報をお読みの皆様、毎度おなじみ太鼓奇談のお時間がやって参りました。
この会報が皆さまのお手元に届く頃はもう七月です。
皆さまいかがお過ごしですかぁ?
暑いですかぁ?(井上陽水さんの声で読んでください)
まだ五月の半ばにいる僕は[Alexandros]とサカナクションのアリーナツアー同時進行の合間に大貫妙子さんや高橋ユキヒロさんの春フェス現場、そして[Alexandros]のアジアツアーと何だか目が回る忙しさです。このあとは恒例のフジロック、サマーソニック、そして各種夏フェスへの乗り込みと、怒涛の日々が続いていきます。
忙しいという字は「心を亡くす」と書きますが、今のところは心もなくさずなんとか楽しくやっております。
財布の中身は相変わらずスッテンテンですがw
そんな中、もうお気づきの方々もいらっしゃるとは思いますが、ドラムマガジンのチューニング部がぬるっと復活しております。今回からは「チューニング部β」ということで、前にも増してテキトーにお送り致しております。
なぜテキトーか。言い方を変えればやけくそとも言いますが、横尾編集長とぬるっと打ち合わせた結果、「テキトーにやって、あとは皆さまに考えていただこう」という、読者丸投げ企画と相成りました。
ちょっとテキトーについてお話しましょうw
このご時世、何でもかんでも便利で欲しい情報はすぐに手のひらの中のガラス板で検索すれば手に入る。そんな時代。
そこで敢えて「ツッコミどころ満載、悪く言えば雑、よく言ってもテキトー」という感じで世に出してみようと言う話になり、あの体たらくでございます。
音楽を奏でる上で音色ってのはとっても大事な要素のひとつです。しかもその音色とやらが聴こえている人の耳ってのがまた、十人十色なわけで、耳という器官が物理的に捉えてる音と、その音を脳内で処理した音色ってのが人それぞれほんとに違うわけです。簡単に言うと「聴こえ方がちがう」ということになるのでしょうか。
同じスネアの音を同じ人がプレイしてそれを十人で聴くと、まぁ当然なのですが十通りの感想があるわけですね。
コンサートの現場で例えますと、まずはドラマー。プレイヤー本人がいます。ドラムセットの内側で聴いています。
次にバンドメンバー。ドラムセットの外です。んで、僕のようなドラムテック。内でも外でも聴ける人。んで、音響エンジニア。この方は主に客席でマイクに入力され、増幅し加工された音を聴くわけです。ここはお客様も同じですね。
お客様の中でも、最前列、一番うしろ、二階席、横の方、と色んな所にいらっしゃるわけでして。その他にもツアーには沢山のクルーが帯同しております。多い時は100人位います。まぁ、そこにいる全員の感想を聞いていたら日が暮れちまいますからそんな事はしませんが、僕が仕事している時、常に思うのは「皆どんな音が聴こえているのかなぁ」ということです。ドラマーが「最高!やりやすいよ!気持ちいい!」と言ってくれれば僕らの仕事の八割は成功なのかもしれません。でも他にも関わる人がいる以上皆に満足してもらいたい、楽しんでもらいたい。そしてみんながどう聴こえているかにとても興味があるのです。良い悪いではなく、どう聴こえているか?どんなサウンドがアタマに届いているのか?
だから僕はチューニングが終わって、ドラマーがサウンドチェックやリハーサルで音を出しているときにあちこち歩きまわって、出来る限り色んな人に感想を聞きに行きます。
とてもアナログな時間です。
「ドラマーがいいって言ってんだからもういいじゃん」
確かにそうかもしれませんね。でも僕はそこにいる皆に気持ちよくいてもらいたいと思うのです。それはドラムのサウンドメイクだけではなく、ステージを作る人、照明さん、大道具さん、舞台監督さん、もう色んな人がこぞって「超アナログ」な作業をするのです。それは「居心地の良さ」と言ってもいいかもしれません。

*FFKT:伊豆下田、白浜海岸の 「ホテル伊豆急 」で開催される音楽フェスティバル
アリーナツアーでステージを組み上げた時、楽器を乗せるタイミングで、ほぼステージは完成しています。が、まだ床は様々な作業をしていたことで、木くずやら細かいゴミやらで、決してキレイとは言えない状態です。それがミュージシャンを迎える頃にはいつの間にか床で寝そべっても平気なくらいキレイに掃除されています。僕らが知らない間に舞台監督を始めとする設営チームがきめ細やかに掃除をしてくれているのです。
アレだけの大きなステージをハンディの掃除機や、コロコロ転がすカーペットクリーナーで隅から隅まで、お客さんに見えないところまでキレイに掃除してくれます。
僕も自分の仕事場であるドラム台の上は出来る限り自分で掃除をするように心がけております。
「そんなこと若いやつにやらせますよ!」とお気遣いいただくことも有るのですが、その若いやつも徹夜で仕込んでいるわけですから、楽器をセットアップする時間はやっとこさ、ホっと一息の時間なのです。だとしたら僕が自分でやればいいだけのこと。上も下もありません。どうぞ休んでいてくださいって感じです。
え~っと、話がガラッと戻りますが、最初の方でテキトーとカタカナで書きましたが本来は「適当」と書きますね。辞書で適当を引くと、
[名・形動](スル)
1 ある条件・目的・要求などに、うまくあてはまること。かなっていること。ふさ
わしいこと。また、そのさま。「工場の建設に適当な土地」「この仕事に適当する人材」
2 程度などが、ほどよいこと。また、そのさま。「調味料を適当に加える」「一日
の適当な仕事量」
3 やり方などが、いいかげんであること。また、そのさま。悪い意味で用いられ
る。「客を適当にあしらう」「適当な返事でごまかす」
とあります。良い意味と悪い意味2つを含んだダブルミーニングですね。
言い得て妙ですね。うまく当てはまり、程よくて、良い加減。
これを僕らの間では親しみを込めてテキトーと書きますw
とってもファジーなゆるい線引きですが、ちゃんとポイントは押さえます。
そこらへんのニュアンスってのがどうもうまく伝わらない。
そんなことをふと思ったのはちょうど春頃だったかもしれません。今となっては皆何らかの形で参加していると思われるSNSでのことでした。別にまた何か炎上したとかではなくて、僕はボ~っと眺めていただけだったかもしれません。
どんな投稿だったかも忘れるくらいですが、何か引っかかりました。「ん?これって…なにかおかしくないか?」
「このことに関する大事なことが抜け落ちちゃってる」
Twitterかな、Facebookだったかもしれません。
文字数や投稿するリンク先の制約なのか、投稿自体を編集し、簡潔にまとめないと投稿できない、みたいなことがありますよね。その作業自体は別にいいと思うのですが、大事なエッセンスがスルッと抜け落ちている…と感じたのは確かです。
多分、皆そんなこと何も気にしていないのでしょう。
その投稿自体はそのまま色々なレスが付き普通に続いていったのだと思います。
僕だけが疑問に思っていたのかも。
そのエッセンスとはなんでしょう…そう、リアルさとでもいいましょうか、人が人に何かを伝える心みたいなものが、感じられなかったのです。
今はスマートフォンをかざすだけで電車にも乗れるし、コーヒーも飲める。バーに行ってもお会計はスマホ決済でOKだし、とっても便利になりましたよね。
先日、僕の家の近所にある、「謎の喫茶店」に行って来ました。あ、また話が急に変わってごめんなさい。なぜ「謎の喫茶店」なのか、その訳はいくつかあります。
「お店が不定期に開いている、しかも看板を出していたり出していなかったりで、やっているときがかなり分かりにくい」
「似たようなビルが並ぶ一角の奥まった場所にあるため、場所を未だに特定で
きない」
という、幻のようなお店なのです。先日休みの日に一人で文庫本を持ってコーヒーでも飲みながら読書しようと家を出ました。一軒目の喫茶店は定休日、二軒目は満員。
「う~ん、困ったぞ。どうしようかな~」とアテもなく歩いていると…ふと通り過ぎたビルの一階奥に何かあったぞ…と覗いてみると…あった!謎の喫茶店!w
喜び勇んで、でも落ち着いてお店のドアを開けました。
カランコロンコロン…そうそう喫茶店ってこの音だよね。
中からはちょっと気難しそうなマスターが。
流れる音楽は軽音楽。イージー・リスニングってやつです。
お店の中は昔ながらの重厚なヨーロピアン調。でもさほど古くはなく小奇麗にされています。ふと、入ってきた入口の方を見ると
「当店はカード、携帯決済など扱っておりませんお会計は現金のみ、テーブルごとにおまとめください」
「当店分煙はしておりません。どちらのテーブルでもおタバコをお楽しみいただけます」という貼り紙。
コレはいいと、席についてタバコを取り出し一服。
メニューを見ると軽食もちゃんとある普通の喫茶店。
ちょっと小腹も空いたのでトーストとカフェオレを注文。
黙々とした時間が流れて読書も進み、そろそろ家に帰ろうかと伝票を持ってレジに行くと、マスターがにこやかに一言。
「不便な店で申し訳ありません、ありがとうございます」
と言ったのです。僕は一瞬戸惑いました。(一体この静かで豊かな時間のどこが不便だというのか。)とても芳醇な時間を過ごしていた僕にはマスターがなぜそう言うのかわからなかったのです。「いえいえ、僕にはとても居心地が良くていい時間を過ごさせていただきました。ずっとこの喫茶店が気になっていたのですが、場所がわからなかったり、開いていなかったりで、やっと念願かなって来ることができて嬉しいです」
と伝えると、はにかんだマスターが「ありがとうございます。またお時間が合えばいらっしゃってくださいませ」と言ってくれたので僕も会釈をしてお店をあとにしました。
家に帰る道すがら考えました。
「便利ってなんだろうか?」「便利でないことはそんなに罪深いことなのだろうか?」
確かに現代社会で僕らはコレでもかと言うほど便利なモノを使いまくっている。
スマホにコンビニUber EATS、Amazon、NETFLIX…まだまだいっぱいある。
TwitterやFacebookだってそうだ。何年も会っていない友達とここ何年もずっとメッセンジャーだけで話している。
会わずとも声もなくリアルタイムで会話ができる。
しかもタダで。よく考えてみればちょっと怖いくらいです。
その便利のおかげでなにか大事なエッセンスが削ぎ落とされているのかもしれない…いや確実に削ぎ落とされてる。
ここ数ヶ月の僕はそんなことばかり考えていて、SNSからも少し遠ざかっています。家では本を読み、最近実家から持ってきたターンテーブルと真空管アンプと小さな古いスピーカーで音楽を聴いている。(練習しろよ!なんて言わないでねw)テレビは点いてない。僕の奥さんは最初、「こんな面倒なオーディオ、私触らないからね」と言っていたが、最近は僕のいないときにすっかりオーディオで音楽を聴きながら一杯やるのが
お気に入りらしい。
「ひと手間かけて聴く音楽もいいわね」ということらしい。
今回はいつもにも増して、とてつもなく脱線し混沌とした文章だけれど、僕が最近思っていたこととは、「毎日の暮らしにこそもうひと手間、不便を受け入れて便利をうまく味方につけよう」ということなのかもしれない。便利を否定する気はない。そこに不便も仲間に入れてあげようってだけのこと。
「そんな悠長なこと言っている余裕なんかない、日々の生活だけで手一杯なんだから」確かにそうかも知れません。
でも、仕事帰りに家に入る前、玄関先で一分だけ夜空を見上げてみたり、ベッドに入る一時間前はスマホを弄らないとか、それくらいの「ひと手間」ならできると思うのです。
とても贅沢な瞬間です。でも忘れちゃいけないとおもうのです。世の中はとんでもないスピードで進んでいます。僕はとても追いついていけません。完全に白旗です。
時速300キロで突っ走るその横で僕は時速40キロで走っていきます。そのほうが周りの景色もよく見えるしね。
SNSから離れ、ギスギスした世相をちゃんと見つめながらしっかり歩いていく。
令和という時代はそういう時代になるといいなと思っています。
皆さまの新時代が穏やかでなにもない日常であることを祈って。きっとこの夏も厳しい暑さでしょうから、お体に気をつけてお過ごしください。それではまたどこかで。
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMO の高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細野晴臣、[Alexandros]、Diggy-MO'、LITE、
星野源、ピエール中野、RADWIMPSなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVAL やSUMMER SONIC などの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。
自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。
執筆者:土田 ”つっちー” 嘉範
編集:JPC MAG編集部