つっちーの太鼓奇談
つっちーの「太鼓奇談」第二十一回|無意味... その存在意義
※この記事は2018年10月発行「JPC 158号」に掲載されたものです。
JPC会報をお読みの皆様、
毎度おなじみ太鼓奇談のお時間がやって参りました。
毎回同じ様な書き出しではありますが、今年も早いものでもう10月です。猛暑、酷暑と言われたあの夏もようやく終わりました。ホントに酷い暑さでした。そして 西日本ではひどい被害が出てしまい多くの方々が犠牲になってしまいました。ここに哀悼の意を表します。
毎回この原稿は依頼を受けてから一月ほどの時間を与えてくださり、今までもな んとか締切に間に合うように仕上げてきました。それなりに読んでいて面白く感 じられるよう、考えあぐねて書いておりますが、この体たらくであります。
なにか読者の皆様にお役に立てるような事を書かねばならぬという強迫観念に追いかけられながら書くのですが、いざ出来上がって製本されたものを読み返す と、なんともまぁ、意味のない駄文が書き連らねられていて、落ちこむことしきりな訳です。いや、そんな事ありません、十分面白いですよと、西尾さんは言ってくれるのですが、それはきっと依頼した手前そう言わないと西尾さん自身の立場も怪しくなってしまうわけでありましてw
僕の次のページで連載をしているりっちゃんの文を読むと、
「あぁ、ちゃんとしてる。大学出てるってこういうことだよなぁ。俺みたいな中卒 じゃダメだよなぁ」
と落ち込んで、行きつけの加賀屋に逃げ込み黒ホッピー強炭 酸を煽る日々になってしまいますw
今の世の中、なにか文章を書くということは、読む人に有益な情報がないといけないのではないか、という呪縛があることも、この様なネガティブな考えになる一因な訳です。
然し乍ら、意味のない駄文が果たして無駄かというと、それもなんだか違う気がします。
何が違うかというと、うまく説明できないのですが、無駄という価値観が許されないのはとても息苦しく感じるのです。
唐突ですが、僕は足の指と足の甲の一部に毛が生えています。
それを知った同居の彼女は毎回不思議そうに言います。
「なんでここに毛が生えているんだろう…ねぇ、どうして?なんで?」と。今まさに この原稿を書いている真夜中のこの時間にも、ビール片手に僕のつま先を見て、 いじっては不思議だと言い首を傾げています。その存在にさしたる理由がない場 合、人は首を傾げ、考えます。
なぜなんだろうなんでなんだろう…
そうやって考えているうちに何らかのこじつけでも、デタラメでも存在理由の見当がついたとき、その存在に初めて意味が見出され、存在理由が明らかにされる のです。
これはとても大事なことで、芸術の根幹に関わる事かもしれません。かつて赤瀬 川原平さんの著書に「超芸術トマソン」というものがありました。これは本当に面白い本で、街中にある、説明のつかない建築、無意味な建築にトマソンと名前をつけ分類し、その存在意義を考える、といったものでして、
僕は大好きで何度も読み返し、その現場にも行ったりしていました。アートというものは時として真に無意味な事であることがアート足り得ることということを教えてもらいました。
有益な情報を無料で得ることができる現代において、無意味な情報は罪悪でもあるような扱い受けることがあります。生産性や経済性、現実的に利用価値のあるものだけが正義とされ、それ以外のものは悪であると。
これ、とても恐ろしいことだと思うのです。古くはナチスの優生思想に繋がり、社会に貢献できないものは粛清の対象になってしまうような危うさがあります。
翻って自分自身のことを考えてみます。
僕の職業は楽器テクニシャン。主にドラムという楽器とそれを演奏するドラマー を相手に仕事するわけですが、これがどれほどの意味を成すのか、僕は正直わからないまま長い年月をこの職業とともに過ごしてきました。この仕事は存在しなければしないで別段この世の中に迷惑がかかるわけでもありません。現実とし て、ドラムテックなんていう仕事はここ二十年くらいの話です。
しかし、昨今のドラム界の盛り上がりは目を見張るものがあります。国内外の楽 器メーカー各社は競うように新製品を発表し、それに対するユーザーの皆様の反応も素早く、販売店の動きもとてもバラエティに富んだものばかりです。
販売店の試奏動画などを見たユーザーが敏感に反応し、それを手に入れたユーザーはその感想を的確に表現してSNSにアップします。こうなってくると誰が楽 器屋さんで誰がユーザーで誰がプロで誰がアマチュアか?そんな価値観もすでに前時代的な価値観なのでしょう。
一億総批評家時代とも言えるこの時代において僕はなんとかその波に乗ろうと無理にでもSNSに参加し、ちょくちょく投稿していましたが、最近「あぁ、これは 僕に向いていないことなんだ」と思わせる事が起こりました。
ご存知のかたも多いかとも思いますが僕ともうひとりの友人が投稿したtweetが 炎上したのです。
まぁ、ここでは細かい説明は省きますが、兎に角、僕らの歯にモノ着せぬ言い方 が多くの方々を傷つけてしまい、友人はtwitterアカウントを削除、僕も年内でア カウントを削除するという結果になりました。
そうなってくるとまぁ、いろんな事を言う人が出てくる訳で、大方の意見としては 「逃亡」「無責任」「上から目線でものを言いそれを咎められると逃げ出す老害」などというものでした。もっとひどい罵詈雑言を浴びせてきた人も沢山いました。
若手のプロドラマーからも沢山メッセージを頂き、叱責を頂きました。要約する と「つっちーさんはもう公人なんだから、もっとSNSでの発言に気をつけて上手 に使って下さい!」と言うものでした。
なるほど確かにそうなのかもしれない。しかし僕は自ら公人であることを望んだわけではないし、SNSをうまく使うということにこれっぽっちも興味がなかったわけで。
たまにやる自身のバンドのライブ告知くらいが関の山。
一昔前のtwitterはどこか井戸端会議のような雰囲気があり、勝手気ままに言いたいことを辛辣に言っても見たくないやつはブロックすればいいじゃん位のものでした。
今回の炎上で反省すべきところはたくさんあったし学ぶことも多かった。見ず知 らずの方々とお話することも出来て、誤解も解けたケースもありました。
そこで思うのは「あぁ、やっぱり無駄話や与太話はここではもう出来ないなぁ」ということ。
まだFacebookは公開範囲を限定できるのでその余地はあるのですが、twitterはもう揚げ足取りの場になってしまっているような印象です。もちろん全部が全部ではありませんが…有益な情報、特に災害時などは役に立つこともたくさんありました。実際東日本大震災のとき、僕のtweetがキッカケで生存確認が取れたご家族も居たくらいです。
それに僕の母は僕のtwitterアカウントを共有していて、日常の僕のtweetが生存確認となっていました。僕の娘ともつながっていて、お互いの近況などを知ることも出来ました。
そんな大事なアカウントを削除するのはどうかとも思いますが、仕方ありません。 向いてないのですから。
面白いのが、削除の意向をtweetすると、今度はなんと、
「止めないで下さい、これからも有益な情報をtweetして僕らに教えて下さい」と言う人が多いこと多いこと。
そこではっきりわかりました。タダで飯のタネであるノウハウをtweetしてはいけないなと。僕はこの仕事で生活しているのです。蕎麦屋にいきなり入っていって、 タダでそばを食わせろと言ったところで誰も相手にしないどころか場合によっては警察沙汰になってしまいますよね?
それと同じことを要求されている気分になりました。
以前、都内のとある練習スタジオで僕が一服していると、二十代くらいの男の子 がこっちにやってきまして、「つっちーさんですよね?ドラムマガジン読んでいます!いつもチューニング部楽しみにしています!」と話しかけてきてくれたので丁寧にお礼を言うと、その彼は自分のスネアを出してきて、「これ、チューニングして下さい!」と言い出したのです。初対面で。僕は「今日は自分のバンドで練習に来てるだけだし、チューニングは仕事でやってるからいきなりそう言われても困ります。ごめんなさい」と言いました。
そうするとどうでしょう、その彼は顔を真赤にして怒り出したのです。「ああいう連載をしていながら読者の頼みを断るなんて非常識だ!」と。僕は何もいう気が起きませんでした。
ただ、軽く会釈をしてスタジオに戻るのが精一杯でした。
何でもかんでも無料で得ることができるこの時代、サービスと言えば聞こえがい いけれど、自分が得たいものに対する対価を払うという感覚が著しく欠如してい る人が多く見受けられます。これは芸術活動の破滅への道筋が出来上がっています。文化的生活が脅かされているのです。
自分がより良く生きるためにしかるべき対価を払えない時代、なんと恐ろしい、なんと虚しい時代でしょう…。
ちょっと愚痴っぽくなってしまいました。
まぁ、とにかく今の世の中一歩外に出れば呆れるような行動や言動が溢れかえ り、殺伐とした空気の中皆様もなんとか気を確かに持って日々の糧を得るためにご自身の努めに励まれているわけで、全くもってただただ頭が下がる思いでございます。すべての仕事はどこかで繋がっていて、一見まるで関係ない街の豆腐屋と巨大な設備を要する製鉄所なども、辿っていけば必ず接点はあるわけで、そう考えていると街を歩くホワイトカラーのサラリーマン達と僕らのんきな太鼓持ちとも面白い接点があるのだろうなとまた「無意味」なことに思いを巡らせてしまいます。 無意味な事、非生産的なこと、無駄なこと…果たして?
考えれば考えるほどわかりません。諸行無常、盛者必衰の理を表す。う~ん、こ んがらがってまいりましたw
ただ一つ言えることは、僕は今、あらゆる最新の楽器や機材のデーター的なハナシに全く興味を覚えません。それではプロ失格だという人もいるでしょう。ま、 機材スペックだけで仕事ができるとも思えないのでそんな意見はサラッと聞き流 しておきます。大事なのは「音楽」そのものです。
それ以外のものは大したことではありません。いい音楽を作るお手伝いをするの が僕らの仕事です。そこだけにフォーカスしていれば何も問題はないのです。事 実、長く続くツアーでは常にそういった空気が流れていて、完全なプロ集団の塊 として一つの生命体のように動いています。そしてそこにはクリエイティブな無意 味やムダがゴロゴロ転がっていて、それらが何らかの化学反応でアートに昇華し た瞬間、僕らはものすごいカタルシスを得るのです。もちろんそれを一緒に見て いるお客様も一緒です。裏側を知らないお客様のほうがその衝撃は何倍にも成 るでしょう。望むところです。
打てば響き、その響きは一瞬にして消えていく。音というのは手に取れる形に残 らないもの。それこそ意味を見つける前に消えてしまいます。
一瞬の刹那に意味を見出し、その一瞬の煌きを言葉や音楽や絵画に封じ込める。そこに意味はなくとも何かを感じた「心」があります。そう、きっと僕らはその 「心」に飢えているのかもしれませんね。無駄や無意味や与太話を楽しめる「心」 殺伐とした空気を和ませる「心」それは満員電車にクラシック音楽を流すようなことではなくて、もっともっと単純で簡単なことなのでしょう。それはきっと思いやりとか言うのかもしれませんね。
遠くの親戚より近くの他人、袖すり合うも他生の縁、躓く石ころも縁の端くれ。 なんだかよくわかりませんが、何時も通りふわっとした着地が出来たみたいで安 心しましたw
思いの丈をつらつらと書き連ねて参りました。
ここまでお付き合いくださった読者の皆様の忍耐力、集中力にはただただ頭が下 がります。ありがとうございます。
SNSの場では僕は一寸黙るつもりです。でも、この会報では今までどおり好き勝 手な事を書き連ねて行こうかなと思っております。つきましては、読者の皆様の 反応があるとやりがいがぐんと上がります。ご意見ご感想ご質問等などありまし たら、JPCの西尾ジェダイ・マスターにお送りください。
災害レベルの酷暑と言われたこの夏も終わり、秋から冬へと季節は移ろいます。 実りの秋、厳しい冬を越せばまた春が来てほころぶ花を愛で、命が躍動する夏が 来ます。
読者の皆様におかれましては日々の生活が平穏であること、
過不足無く文化的な生活が送れますようお祈り申し上げます。
毎度の締めくくりですが、この世界から争い事がなくなり、
隅から隅まで平和な星に成るようにいのります。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
また次号でお会いできることを楽しみにしております。
ばいばい(^o^)
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMO の高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細野晴臣、[Alexandros]、Diggy-MO'、LITE、
星野源、ピエール中野、RADWIMPSなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVAL やSUMMER SONIC などの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。
自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。