つっちーの太鼓奇談
つっちーの「太鼓奇談」第二十六回|気付き... 僕は何も知らないんだ

※この記事は2020年1月発行「JPC 163号」に掲載されたものです。
JPC会報をお読みの皆様、
新年あけましておめでとうございます。
毎度おなじみ太鼓奇談のお時間がやって参りました。
2020年、令和二年になっても相変わらずこの下らないページは生き残っているようで…。なんともお恥ずかしい限りでございます。この閉塞感たっぷりのディストピアな日本で、バカバカしい事を公の場で書き散らす事を薄目で見守っていただいているコマキ楽器の皆様には本当に感謝しております。皆さん本当に心がお広くて頭が下がります。
そして、読者の皆様への感謝はそれ以上のものがあります。
重ねて御礼と新年のご挨拶とさせていただきます。
てな訳で、堅苦しいご挨拶はこれくらいにして、いつもの感じで書かせていただきます。
去年一年を少し振り返ってみますと、いくつかのことに気が付きました。大きくまとめるとその根っこはひとつなのですが、そこに至るまでの「気づき」を多く得られた一年だったのではないかなと思いました。
あんまり過去を振り返ることは好きではないし、過去に執着は殆どないのですが、ま、お正月くらいは良しとしますかw
その気付きとは、何か?一言で言ってしまえば、「僕は何も知らないんだ」ということ。
何を以て知らないと言うか。
僕は長年、音楽の世界に身をおいて生計を立てています。
なので、それを知る音楽業界以外の方々とお会いすると、「さぞ音楽にお詳しいのでしょうね」というような事を言われ、その持っているであろうとされる知識を期待されることがあります。でも、僕は何も知りません。
もちろん自分の好きな音楽に関しては饒舌になることもあります。でもそれは皆さん同じことですよね?
本当のプロフェッショナルというのは自分が好むと好まざると関わらず、他を圧倒する知識と経験と自己探求があると思うのです。そこを考えると僕は、何も知らないと言わざるを得ません。コンサートで使う楽器や音響や照明、舞台装置、みんなが知っていることは僕も知っていますが、それ以上のこととなると何も知らないのです。ですから、その道のプロフェッショナルがそこにいると、僕は自分の無知を自覚し、黙することになります。
そして、その研鑽の凄さというのは今やプロフェッショナルの世界だけではないようです。
インターネットのおかげで世界中の情報があっという間に手の中に入る今、例えばアマチュアのドラマーの皆様の様々な知識には驚かされるばかりです。
僕はスネアの音をぱっと聴いただけで、どんな材質かどうかなんてわかりません。
下手すると金属なのか木なのかさえもわからないかもしれません。シンバルだってそうです。
あ、コレはあれだね。
なんて一聴して判別できる方がいっぱいいらっしゃるようで、twitterやFacebookなどのSNSを見るとそんな方がわんさかいるのです。僕は唖然としました。
「もう僕の知識や経験なんて、今やネットで一時間検索してみたらみんな知ることができる時代なんだなぁ」と。
僕は自分の価値の崩壊を経験しました。
ま、別にそんな大した価値があるわけでもないので、かえって気が楽になったというのも本音としてありますが。
しかし、この世の中に溢れかえる情報の多さに辟易した僕は疲れ切ってしまいました。
去年の年初から夏が終わるまで、目の回るような忙しさで、あちこち飛び回り、家族の顔を忘れるくらいの慌ただしさでした。そんな慌ただしさのなか、半ば病的にSNSにアクセスしている自分に気が付き、呆れ返りましたね。
何をそこまで…そんなに「つながり」が欲しいのか?
殺人的なスケジュールが一段落するとほぼ二ヶ月の空白が唐突にやってまいりました。九月と十月です。ほとんど仕事が入っていなかったこの時期、奥さんは「ちょっとゆっくり休みなよ。働きすぎだから」と気を使って僕をのんびりさせてくれました。たまに深酒をしたり、深夜まで映画を見たり本を読んだり音楽を聴いたり。植木の世話や、掃除洗濯などの家事をして、料理や散歩、とても人間らしい生活をしていました。そして遂にはFacebookのアカウントを一時凍結するに至りました。(最初はうまく凍結しきれていませんでしたがw)無駄な情報が入ってこない、極めてプレーンな時間が流れていきます。
自分が選んだものを自分の中に取り込んでいく。
日々の生活の中に表現を見つける。
己の無力さ、無知さを思い知る。
こうなると、楽器のこととかデータとかスペックとかどうでも良くなります。プレーンな目と耳で目の前の楽器と接することができる様になりました。
何よりも「音楽」そのものに素直に反応できるようになったのです。
今までも素直に反応していたつもりですが、より先入観なく、すっと目の前の音楽に入っていけるような気がしています。音楽だけではなくすべての事においてそうなってきたのかも知れません。

そこで一つ気がついたのは、「自分が知っていると自覚していると、無意識に知らない人のことを下に見て礼儀をなくしてしまう人が結構多いなぁ」ということです。
「え?こんな事も知らないんですか?」
「あ、知らないなら触らないでください」
「ていうか、こんなことも知らないでよく仕事していましたね」
そんな声が聞こえてきそうな態度がミエミエで、げんなりします。(しかも大体年下という事実w)
知っていて、しかもセンスがあってスマートに表現できている。そこまでできて初めてスタートだと思うんだけどな…。ま、いいか。あなたがご存知ならどうぞおやりください。僕は身を引きますから。なにかご希望があれば、仰せの通りいたします。てな気分で静かにその場を見守ります。
そこに何の感情も生まれません。昔だったら喧嘩の一つもしたかも知れませんが、今となってはそんな気は一つも起きませんで。ただ、思うのは、音楽が可愛そうだなぁと感じることだけです。僕にはその人が知っている知識に無理やり音楽を合わせているようにしかみえないのです。
音楽の首根っこを掴んで、「こっち来い!」と引きずり回している感じです。自分自身で作詞作曲している音楽なら十億歩譲ってわからんでもないですけど、自分を雇ってくれているバンドやシンガー・ソング・ライターの作った音楽に対してその仕打ちです。僕には音楽の虐待にしかみえません。ですから僕は音楽だけに対してだけは素直に正直にそして愛情を注いでいたいと考えます。真に研鑽を重ね、鍛錬を積んできた方々はその大変さを骨の髄まで知り尽くしていますよね。
そういった方は、絶対にそういった態度を取ることはしません。どんな世界の人でもそこを極めている方は皆さんとても、さりげなく謙虚で穏やかに接する方々ばかりです。
僕はこう有りたいと思いました。まだまだ道は険しく遠いですが。おそらく生きている間にはムリでしょう。
以前この太鼓奇談でも書きましたが、今の世の中、マウントポジションを取って大きな声で叫びさえすれば、大抵の欲望は通ってしまうという理不尽さを書きましたが、僕はそんな世の中にはいたくありません。
御免被りたいですね。
僕の回りにはそういう方がほぼ居ないのがとても幸いです。ありがたいことです。
多謝。
閑話休題。
んで、暇こいていた十月の末からツアーのためのリハーサルがスタートしました。
僕はメトロに乗り二週間の間せっせとスタジオに通っていました。都内某所にあるスタジオの周りはいわゆる閑静な高級住宅地で、駅からスタジオまでの道のりで昼食を買って行くわけですが、駅チカの飲食店が出すお弁当がバラエティ豊富で、今日はお肉、明日は焼き魚と、電車の中で考えるのが毎日の楽しみでした。
お弁当を買うと、麦茶やヨーグルトを買いにコンビニに寄る訳ですが、とあるよく晴れた日、ふと立ち寄ったどこにでもあるそのお店で…
「いらっしゃいませ~」違和感こそはないけれど、そのイントネーションは外国の方なんだろうなぁと思い、ふとレジに目を向けるとそこには白人女性のアルバイト。アジア圏の方たちが働いているのはよく見かけますが、白人の方もいるんだなぁと思いながら僕がレジの列に並ぶと、前には白人の男性。このあたりは外人さんも多く働いているからなぁ~なんてボケ~っと突っ立って順番を待つ僕。目の前では男性はそのレジの女性に声をかけ、「あ、お友達なのかな」くらいの感じで僕は店に並ぶお菓子をぼーっと眺めながら先の白人さんが会計を済ませるのを待っていました。
そして、僕がカウンターに買い物を置いてふと彼女を見ると、うつむいていて笑
顔とも泣き顔ともつかない表情。
なんとも言えない、複雑で深い感情を抱いている様子でした。
ちょっと泣いているようにもみえました。
僕は「えっ、どうしちゃったの…?大丈夫かな?」
という気持ちでじっと待っていました。
とはいえその間十数秒ほど。待つというほどの時間ではありませんでした。でも僕には数分にも感じられました。
コンビニのレジで会計をする短い間にあの男性は彼女にどんな言葉をかけたのだろうか?どんな気持ちのやり取りがあったのだろうか。確かに僕の前で二人は言葉を交わしていました。僕は特に気にもせず、その言葉が英語なのかさえも聞き取る事はできませんでした。そして彼女は一つ大きく深呼吸をして、僕の会計をはじめました。
その表情からはその感情は消え去り、きっといつもそうであろう事務的で無機質な表情に変わったのです。
その変化が僕にとって妙に寂しく感じられたのです。
寂しさと同時に何故か自分の痛いところを突かれてしまったようなチクッとする痛みみたいなものを胸に感じたのです。
僕は買ったものを受け取り、帰り際に”thank you, have a good day”と声をかけました。
すると彼女の表情はぱっと明るくなりデイジーのような笑顔で小さく手を振って応えてくれた。
僕は彼女のあの事務的な表情は日本で生きていくための処世術だとしたらとてもさみしいことだと思ったのです。
きっと、どんな気持ちだったかは全然わからないけれど、ふとした瞬間に見せた豊かな表情や感情の起伏をもう少しだけ長引かせていたかったのかもしれません。
東京という街はなんでもあるし、いい悪いは別として流行の最先端もたくさん感じることができる上に江戸から続く歴史文化を感じられる側面もあります。それは東京だけではなく日本全体に言えることです。
そしてそれは日本だけではなく世界の様々な国にも言えることですよね。日本独特のサブカルが世界に発信され、他の国からわざわざ日本にやってくる人も年々増加していると聞きます。外から見ると豊かな文化を持つ国に見える日本の首都東京で、待ちゆく人を見ると僕はなんでこんなに「我関せず」なんだろうか。と思うことがあります。
なるべく他者との関わりを持たないように生きているようで、その反面自分を認めて欲しい…。矛盾した感情が自分の中で擦り切れていて、そのストレスが思わぬ方向で爆発する。その時は悲劇としか言いようがない形で他者を巻き込む。
新元号が決まって、僕は字面をしらないまま、奥さんから「“れいわ”だって、新しい元号。“れいわ”やっぱり慣れないねw」と電話で聞いて、頭に浮かんだのは「礼和」という文字でした。「礼をもって和を重んじる」ちょっと堅苦しいけどいい字面だなぁと勝手に思い込み、直後にテレビを見て「令和」と知り、「あ、そっちか」と思ったものでした。
でも、第一印象ってとても残りますよね。
僕はそのやわらかい「れいわ」という響きの新しい時代が、温もりある時代になるように祈っています。
デジタルな世の中ですが、ハイパーデジタルがどんどん進化していくその先にあるモノは「究極のアナログ」でもあると言えます。デジタルによる温もりの再定義が始まった平成から成長期に入る令和。
AIやロボットだけではなく、もっと有機的にもっとシンプルに、そしてもっと温かい。そんなテクノロジーが出てくる時代になるかもしれませんね。
新しもの好きな僕としては楽しみです。
何れにせよ、大事なのは「心」ですね。
2020年は「心の世界」をテーマに生きていこうかな。
そんな気分になってきたところでお腹が空いてきました。
ちょいと奥さんとそこらの居酒屋でもつ焼きでもつまみに行ってきますw
読者の皆様、コマキ楽器の皆様の新年がより一層幸せな一年になりますように。
そして、毎日祈っていますが、世界が平和で愛に満ち溢れますように。
それではまた、
桜咲き乱れる春にこのページでお会いいたしましょう。
ご機嫌よう。
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969年生まれ。11歳の頃YMOの高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO,THE BEATNIKS,etc)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細 野 晴 臣、[Alexandros]、Diggy-MOʼ、ピエール中野、RADWIMPS、宇多田ヒカルなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVALやSUMMER SONICなどの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。 自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。 プレイヤーとしての参 加 作 品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本 園 太 郎「R135 DRAFT」「torch」など。 蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。