世界の打楽器部屋から
世界の打楽器部屋からvol.27|スイス・ベルン・チューリッヒ 武井千晴
世界各地で打楽器人生を謳歌する日本人にフォーカスした人気シリーズの27回目。
今回はスイスの美しい山々に魅せられ、山の虜となったスイス在住の打楽器奏者武井千晴さんにご寄稿いただきました。
美しい写真!意外な練習場所?!大自然をイメージしながらお楽しみください。
現地情報
- 国:スイス
- 地域:ベルン・チューリッヒ
- 生活言語:ドイツ語・スイスドイツ語・英語
- 現地通貨:CHF(スイスフラン)
- 日本との時差:8時間(サマータイム時7時間)
「防空壕をマリンバ部屋にしてるんですよ。」そう言うと大抵の方は首をかしげます。
そう!スイスの各家庭の地下には、防空壕があり今日のスイス住民は倉庫として使用しています。そこで、私は防空壕を打楽器部屋としているのです。
人もほとんど来ない、騒音問題も解決。なにより広い、照明は4つ置き、宅録もできる自分だけの防空壕スタジオ。もし爆弾が落ちるようなことがあっても、私のマリンバはきっと無事でしょう。ええ、なってったって防空壕ですから。
ここが私の城、『世界の打楽器部屋』です。Wi-Fiが届かずスマホが使えないのが難点ですが..、集中して練習できるのでヨシとしています。
Grüessech! こんにちは。 マリンバの武井千晴です。
桐朋学園大学で長らく安倍圭子先生に師事した後、チューリッヒ芸術大学院で2年勉強し、現在はベルン州の片田舎に移り住みスイスを拠点に活動しています。
チューリッヒ留学時代は、市内に住んでいたので(毎晩のように行われる素晴らしいコンサートも毎日行き放題でしたが!)トラムの音で目が覚めあまり自然を感じることができませんでした。
対して今住んでいる場所はとっても自然豊か。澄み切った空気に、毎日が小鳥のコンサート。底が見えるほど透き通った清らかな小川がさらさらと流れ、小鹿が通ったかのような優しいそよ風が草花を揺らし、あたたかい春風がそのまま私をつつみこむ。そのまた風の行く先に目をやると、白く雄大なアルプス。山に磁石があるんじゃないかと思うほど、私の心は美しい山々に囚われていきます。
すると干し草の匂いが風に乗って飛んできて、カウベルの音、隣村の小さな教会の鐘の音も遠くから聞こえてくるのです。夕暮れにはピンクに染まったアルプスが一日の終わりを告げてくれます。
これこそが自然の総合芸術。自分もそのままでいい。そう思うと肩の力がふっと抜け、自然に笑みがこぼれます。ここに来てから、より自由になった気がします。
しかし、留学時代お世話になった方々と離れ、新しい地で音楽生活をスタートさせるのは困難の連続でした。愛用のマリンバも日本から空輸しました。日本でも大変なことですが、コネクションのない地でマリンバソロの仕事を得るのは中々、いや結構大変です。たとえ国際コンクールで4つほど受賞歴があり、全く知らない方が私の経歴を見て華やかに思って下さったとしても。
当初、どうしたらいいかを必死に考えベルンの市内で路上演奏もやりました。
マリンバで事前に伴奏音源を制作しておき、3.3octのシロフォン(スイスのヤフオクのようなサイトで破格で買ったアダムス)を電車ではこびました。それからチラシや名刺、CD等もおいておくうちに、声をかけてくれる人も増え、そのまま仕事に繋がりパーティ、イベントなどで演奏する機会を自力で獲得していきました。また近所の教会にかたっぱしからメールをし、散歩等で知り合った近所の仲のいい方をコンサートに招待し、そこからコンサートをまた獲得していく。
そういう地道な努力が身を結び、ソロマリンバ奏者としてなんとか活動を築きつつあります。路上演奏にしろ最初は勇気がいりましたが、(なんせ譜面台を組み立てた瞬間に私服警察に声かけられたましたし)留学時代の苦労を思えば、なんだってないさ。むしろ頑張らないと過去の自分に申し訳ないと思いそれも原動力になっています。学生時代は国際コンクールに出場する資金がなくチューリッヒ芸大が援助してくれたほど苦学生でした。コロナ禍も相まって思考はどんどん狭まっていき心配してくださった教授がレッスン後にこれでどこか気分転換にいっておいで。とこっそりお金を渡してくださった優しさ、そこで勧められるがまま山へ登りに行きました。そこで見た頂の景色は今でも決して忘れません。いつの日か、学生時代に受け取った沢山の優しさを次の世代に返せるようになりたいです。
そんな苦しかったチューリッヒ時代からお世話になっている方々との交流も絶やさず、ベルンのみならず、チューリッヒではマリンバデュオの活動ももちろん、カフェ、時には豪邸などにも赴き自宅コンサートも行います。もちろんデュオで演奏した場所で今度はソロでもやらせてください!と話すのも欠かしません。
スイスでマリンバ奏者。聞こえはいいですが、実際は自分で困難な状況を打破していく、演奏以外の努力の部分もかなり大きいです。究極、演奏は死ぬほど頑張っていればなんとかなります。経歴に書けそうなことに一つでも多く挑戦する。その宝物のような経験を積み重ねて頑張っていい演奏をしていれば絶対見てくれている人はいるからです。演奏以外の見えない努力も大事なのかもしれません。そして時に苦しい経験は必ず自分自身を強くするものと信じています。
このようにして地道にキャリアを積み重ね、そのかいあって先日ヤマハミュージックヨーロッパ アーティストにもなりました。チューリッヒ芸大の留学時代はヤマハ奨学生としてご支援を頂き大変恩義を感じています。これからは自身の夢、「マリンバの魅力を一人でも多くの人に伝えたい、音楽の感動を共有していきたい」という信念をヤマハ社と共に叶えて行けることがとても嬉しく、御恩を少しでもお返ししたく思っています。
またヨーロッパには、マリンバフェスティーバという打楽器協会みたいなのも存在しており、私はそのメンバーの一員として、そちらでコンサートをさせて頂くこともあります。今後はより安倍圭子国際コンクールやイベント等で関わらせて頂く事となりそうです。
私は語学学校に一切通わずに語学を習得中の人間で、最初は当然語学の壁にもぶち当たりました。
まず、現地語はスイスドイツ語ですが、一口にスイスドイツ語と言っても、チューリッヒドイツ語・ベルンドイツ語、またベルンドイツ語の中でもエメンタールドイツ語などと沢山分かれています。
わからない時はハッキリと「高地ドイツ語(標準語)でお願いします。」と相手に伝えてから会話をするようにしていますが、初学者の時はその標準語すらわからないのです!わざわざ二回目に標準語でしゃべってもらっても、その内容もわからない..。それが最初は本当に苦痛でした。私は割と話しかけられるタイプの人間なのですが、小学生位の子に標準語でしゃべってもらって3回くらい聞き返してもわからないときは、無言で会話がおわりました。・・・。その時の空気と言ったら。そんな事がしょちゅうです。でも語学を習得したことがある人はみんなその体験を乗り越えているはずなんです。
勉強する中で一つわかったことあります。勉強は心でするものだと。勉強とは自分と一生を共にする「自分自身」を作る作業なんだと気付きました。マリンバもそうですが、学生時代は沢山オーディションに落ちたり、舞台上や練習中、苦しい経験も悔しい体験も数えきれないほどしました。そんな自分がいるから、もうあんな想いはしたくない。失敗したっていい。どんな苦労も引き受けてやる。こんちくしょうめという気持ちで頑張れるのです。それは結果的に心を育て、その過程こそが人を育て自分自身を作ることに繋がっているのです。
マリンバが私をスイスに連れてきてくれましたが、音楽のみならずすべての事は繋がっています。
努力とは心を鍛え豊かに生きることだと。音楽、音学、音が苦。様々な「おんがく」がありますが、マリンバのおんがくのみならずひたむきに心を成長させるという強い意思を持ち続ける人でありたいと思います。そして芸術は人の心を癒す力があるということ。その力を信じ、スイスという異国でも明日を豊かに生きるエネルギーを生み出す自分で居たいです。
さて、これを読んでくださっている多くの方は打楽器を生業とされている方、もしくは打楽器をされている小中高生かと思います。スイスに来てからヨーロッパの音楽に触れるうちに身につけた、練習に対する考え方について恐縮、また恥ずかしながら最後に触れたいと思います。
クラシック音楽の高い芸術性。ピーンと天まで届きそうに張り詰めた音、エネルギーの渦、写真を拡大したときに細部まで画素が美しいかのような細部への音の強いこだわり。空気を震わせて聞き手に伝わる、歴史を超えてきた音。ヨーロッパに居る今、筆舌に尽くし難い演奏にも多く触れることができる今をとても幸運に思います。(時に共演させていただくことも。)この先、また何百年と語り継がれるであろう美しい調べは自身の引き出しを多く作ってくれました。
良い演奏を聴くこと。これは何よりも大事な事だと思います。そしてレッスンにしろ何にせよ自分で得た知識を一度自分で組み立ててみる。心で聴きながら、漠然とでいいので「常に自分がどう思うのか、どう考えるのか」と問い、考える癖をつけること。ただ感動するだけでなく些細なことに疑問を持つことが大事だと考えています。
うまくなりたいという欲求は一度脇において、どうしてそう思うのか、積極的に疑問を持って立ち止まって考えると、だんだんと本質的なところに迫れるようになると思うのです。そういう思考の癖をつけると上達への道は早くなると考えています。
さて長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。
ヨーロッパの国際コンクールで連勝しまくった華々しい日々や、ヨーロッパツアーをしたときのコンサートの様子を書こうかとも思いましたが、学生時代が終わり若手マリンバ奏者としてのヨーロッパで大変な想いをしながらも一歩をスタートさせたことを正直に書くこととしました。野垂れ死んでもいいやと思うくらいな覚悟で音楽をやると決めたのですから、これくらいのことがあって当たり前です。それより、一人でも多くの方の心を解放できるような演奏がしたいものです。
ええ。やりたいことは山のようにあります。バーゼル太鼓も始めてみたいし、ヨーデルだって興味があります。マリンバのコンクールの審査員だって機会があれば是非やってみたいです。ドイツ語ができるようになるまではフェイスブック等も辞めようと決心していたのですが、そろそろ再開させようと思いますし、これからはYou Tubeやソーシャルメディア等にも積極的に取り組んでいきたいと思います。お見かけした際は是非気軽に声 (コメント?)をかけてください。
中学生の頃、浅草のJPCにお小遣いを握りしめて、みどりの制服ではじめてのマレットを買いにいった自分を今でも昨日のように思い出します。沢山のマレットを見るのも初めてのことで、たった一組選ぶのに小一時間悩んだっけ。そのマレットは今も大切にしています。今回、寄稿の機会をくださった、山田さん。どうもありがとうございました。
先輩方、帰国の際はぜひ呑みに連れてってください。
小中高生のみなさんはいつか一緒に演奏しましょう!
どうか皆さんお元気で。
ありがとうございました。
2024.5.23 ベルンにて
武井千晴
武井 千晴 Chiharu TAKEI プロフィール
1994年、東京都生まれ
東京都立総合芸術高等学校、桐朋学園大学音楽学部卒業及び同大学研究科卒業。
チューリッヒ芸術大学大学院にて研鑽を積む。
2014年「第23回Drumfest国際マリンバコンクール」ポーランド(20歳未満)第1位。
2019年「第1回国際打楽器コンクール」コンヴェルサーノ・イタリア 第2位
2019年「スイス打楽器コンクール」第1位。
2019年「第17回イタリア国際打楽器コンクール」ペスカーラ・イタリア(25歳以上)第1位。
(上記すべてマリンバ部門)
マリンバ及び打楽器を安倍圭子、Raphael Christen、Klaus Schwärzler、Benjamin Forster、松村ユリア、藤井里佳、中村友子、(故)塚田吉幸、安江佐和子の各氏に師事。
2017年 瀬木芸術財団奨学生
2018年度 ヤマハ音楽奨学支援奨学生
2024年ヤマハミュージックヨーロッパ アーティスト
執筆者: 武井千晴
編集:JPC MAG編集部