世界の打楽器部屋から
世界の打楽器部屋から Vol.7|タイ王国・バンコク 岩渕大輔
世界各国で活動されている日本人のみなさんを「打楽器」というキーワードで、それぞれの生活スタイルや現地
の情報など、その土地目線でレポートしてもらう紀行シリーズ第7 回目。
今回は日本で活動のあとタイ王国に渡泰され現地で活躍されている岩渕大輔氏に寄稿して頂きました。
※この記事は2019年1月10日発行「JPC 159号」に掲載されたものです。
現地情報
- 国:タイ王国
- 地域:バンコク
- 日本との時差:2 時間
- 生活言語:タイ語
◇ ◇ ◇
その土地ごとに存在する音色はどのように生まれるのだろう。冬を知らないタイ王国の風土と歴史、楽器をもとに考察してみる。
熱帯雨林気候のもと、チャオプラヤ川の肥沃な三角州地帯では多毛作の水稲栽培が行われる。食に困らず、天災から縁遠く、一年を通じて半袖で過ごせる環境では、時間は寛容に刻まれる。
言うなれば
と
に大差はない。
公用語はタイ語(ภาษาไทย)。文字は仏典と共に西のかたインドより伝来した。話し言葉は5つの声調を備え、その抑揚は小気味よい。
東南アジアの例に漏れず、ガムラン音楽が身近に存在する。都心部の日系デパートからほど近く、ヒンドゥー教の聖廟「エラワンの祠」では音曲と舞踊が日々奉じられている。
参詣者や観光客で昼夜なく賑わうこの一画が、去る2015 年8月、突如として轟音に包まれた。無差別爆破事件に見舞われたのである。
前年のクーデターにより権力を掌握した軍政への反発か、南部マレーシア系ムスリム不満分子か、憶測飛び交う中で実行犯らは間もなく隣国カンボジアなどで拘束されたが、3 年を経た今なお全容は解明されていない。大陸国家ならではの複雑な政治力学は、ときに楽の音を止める。
西北を接するミャンマーが内包する諸問題も周辺地域の実情を示すものであるが、国境一帯はゴング(ฆ้อง)生産で名高い。音程を持ち、突き出たへそが特徴のゴングが、一般にタイの国名を冠して認識されていることには若干の気不味さを覚えるものの、やはり「タイゴング」という呼び名はその音色と同様まことに通りが良い。ここは敢えて寛容さに染まってみたい。
北東に目を転じると、向かいの国ラオスと言語を共有する山岳民族が住まう。ここでフィンガーシンバルの一種チン(ฉิ่ง)が打ち出されれば、人々はこぞって躍り出し朗唱する。暮らしの悲喜を緩急織り交ぜて唄う旋律の数々は歌謡曲に受け継がれ、今も山間にこだまする。
これら体鳴楽器は宗教儀式にも登場する。透明感ある音色が信仰と結びつくのは人類の普遍的感覚であるようだ。
変わって比較的入り組んだ機構を持つのが打弦楽器キム(ขิม)である。脚部を外した小型の揚琴で、奏法も同じ。語源はまさに「琴」そのものと推察できる。声調を表わすと、
語尾に向けて上行する。
古語「琴瑟相和す」によれば琴は男性が受け持つが、キムについては女性に属していた時代が長い。第二次大戦下のバンコクを舞台にした小説『メナムの残照』では、この楽器を奏でる少女アンスマリンの許を日本の海軍大尉・小堀が訪れる。キムの描写は音楽をはじめタイの芸術界は長らく王室の庇護を受けてきた。国立芸術大学の本校舎が王宮そばにあることからもわかる。
列強各国が近隣に軍靴の足音を響かせた近代にあっても自国の独立を保ち続けた王室への尊崇は今日なお篤いが、現チャクリー王朝の祖先は、実は中国からやって来た。王家のみならず政財界は華僑が大勢を占めており、北方の大国とは浅からぬ縁がある。
音楽面においては、かつて各種西洋楽器の供給元は欧米系が主流であったが、中国の技術革新に伴い市場移行が徐々に本格化してきている。なるほどモンスーン気候に耐え得る弦楽器などは地域性を知ってこそ製作が可能となり、販路は近場にある。
製造業者はまた修繕も行う。近ごろ中国本土で楽器を修理する奏者が増えている。例の寛容さゆえに楽器に対しても無頓着だったこれまでとは様子が異なる。物流面で経費が抑えられる点も魅力であり、地理的要因の大きさが窺える。「遠くの権威より近くの親戚」とでも喩えたものか、ここに一層広域的な「土地の音色」が生まれつつある。
王国は10月末に乾季に入った。例年であれば以降半年は陽を遮る雲がなくなる。にもかかわらず、ここしばらく度々強い雨が降る。気象の変化は新興国にも影響を及ぼしている。
この頃、日本の雨音は熱帯のそれと似通ってきていると感じる。土地の音色が環境によるものならば、日本も南国の響きとなってゆくのだろうか。
了
岩渕大輔プロフィール
1981 年東京生まれ。都立西高校、桐朋学園大学卒業。打楽器を佐藤迪、佐野恭一、松倉利之各氏らに師事。アジアユースオーケストラ参加を契機に2007 年渡泰。バンコク交響楽団、ガラヤニ音楽院管弦楽団、バンコクオペラにて首席ティンパニ奏者を歴任する。また、シラパコーン(タイ国立芸術)大学音楽学部にて6 年に亘り講師を務める。
現地日本人会に所属し、同会主催コンサートにおいては総監督の任に当たる。バンコク混声合唱団やバンコクブラスバンドなど在留邦人によるアマチュア楽団を指導。自作楽曲のほか、国王賛歌などを編曲し提供している。
執筆者: 岩渕 大輔