tucchie's Taiko Strange Story
つっちーの「太鼓奇談」第二十九回|短編小説「あれから...」第2話
※この記事は2020年10月発行「JPC 166号」に掲載されたものです。
※カバー画像および、文中の挿絵の一部は、小説を読了した生成AIによって作成されたものです。
主人公「僕」の印象がずいぶん変わってしまった...
~あれから…~ 第二話
「お父さん?大丈夫?具合悪いの?」
ハッとした僕はスリープモードでブラック・アウトしたスマホの画面からやっと目を逸した。
「いや、大丈夫だよ、ちょっと古い知人から着信があってね、びっくりしていたんだ。さ、行こうか」
娘はちょっと安心したような、少し呆れたような顔をして、僕の隣に座った。
僕の両親と妻が眠る墓地までは、都内から車で一時間くらいだろうか、僕が現役で仕事をしていた頃なら首都高速道路が通っていたから40分位で着いたけれど、今はその首都高もほとんどが姿を消している。そのおかげで東京都心は随分スッキリして見通しの良い街になっている。
2020年からずっと続く新型コロナの緊急事態宣言のお陰でオフィスワーカーは皆テレワークとなり、都心に会社を持つ意味がなくなってしまい、あらゆる企業は地方に散り、多くは創業者の生まれ故郷などに本社を小さく構える様になっていた。そのおかげで地方自治体は税収が上がり、行政が行き届くようになった結果、都心から若い家族が沢山移住するようになって活気が出てきている。
一日のうち、二、三時間デスクに向かってキーボードを叩きオンライン会議をすれば仕事は終わり。あとは子供と妻と一緒に畑に出たり、趣味と実益を兼ねた創作をしたり。
理想的な暮らしが世界の地方都市で繰り広げられていた。
一方、東京都心はといえば、ここもまたここで生まれ育った人々が根強く暮らしていて、独自の文化を作り上げていた。オフィスの転出により店子を失った高層ビルは次々と取り壊され、時間貸しの駐車場になっていくのだが、そもそも都内の交通量が少なくなったおかげで主要路線の路肩には必ずパーキングエリアが設けられていて、それは全部無料と言うのだからわざわざ有料のパーキングなどは誰も使うわけがない。
よって、ゼロ年代位から雨後の筍のように建てられてきた鉄とガラスの冷たい醜悪な高層ビルは次々と姿を消し、その跡地は誰も引き取り手のない超一等地となり、半年もすれば雑草生い茂る荒れ地になってしまうのが常だった。
そこで東京生まれの江戸っ子たちの出番が来る。
誰に頼まれたわけでもないが、手前らの住む街で荒れた空き地があるのはどうも居心地が悪い。このご時世ともなれば丸の内の勤め人もとうの昔にスーツを脱ぎ捨て、空いた土地で第一次産業と言われる農業に精をだしている。土いじりはお手の物だ。というわけで各自持ち寄った自前の腕と材料で広大な高層ビルの跡地に木を植え、池を作り、遊歩道を敷き、地元住民はもとより、地方から来るお客さんをもてなす大きな公園を作り出すのであった。
東京は一大公園都市となり、新しい歩みを始めていた。
すっかり空が広くなった東京の街を眺め、彼が僕に連絡をくれたことについて僕は考えていた。その内容は20年前なら確実に仕事の依頼だったけれど、今になって何の用事なのだろうかと。まさか久しぶりに一杯やろうとかじゃないだろうな?それならこっちも喜んで誘いに乗るぞ。
未だ馴染みのバーは数件あるし、ありがたいことに僕はまだ禁酒を言い渡されていない。もちろん飲み過ぎは禁物だが。そしてまさかの仕事の依頼ならまたそれも楽しいじゃないか。
僕がまだ必要とされるなら、どこにだって出向いていきたい気持ちはある。それにまだ腕が鈍ったという実感はない。喜んで受けたいと心底思った。
ふと見回すとあたりはのどかな風景に変わっていた。
埼玉の所沢の少し奥にある公営墓地ももうすぐだろう。
車内は程よい気温で過ごしやすい。自動運転車の安全性もかなり信頼できる。
一応は運転手もいるのだが、彼はどちらかというと僕のような老人に何かがあった時のための救急救命士という役割が大きい。もちろん医師免許を持つ優秀な青年である。いつも迎えに来てくれる彼はとても穏やかで良い青年だ。以前娘に「結婚するならああいう穏やかな人がいいね。どうだい?」と半ば本気で言ってみたが、娘は目をまん丸くして「何言っているの?私とあの子じゃ年が倍近くも離れているのよ?行く末に苦労かけることが目に見えているじゃない。そんなの無理よ」とあっけなくその案は却下されてしまった。
「お父さん、着いたわよ~いい天気ね~!気持ちいいわ」
伺をつき車を降りると少し冷たい風が頬を撫でた。
都会の風より少し秋っぽさが感じられた。
墓地の真ん中にある売店で母と直美が好きだった花を買い、墓石まで歩く。すれ違う人が思いの外多かった。
墓参り日和ということなのだろうか。
「こんにちは」「ご苦労さまです」とお互いに微笑んで声をかける相手は見知らぬ人々だ。
つい二十年前のこの国では考えられないことだが、今、この日本では街でもどこでもすれ違う人が笑顔で挨拶を交わすことは珍しいことではなくなってきた。 その理由はひとつ、人々がSNSを捨てたからだ。SNSの持つ匿名の攻撃性により、何人もの尊い犠牲を払ってようやく世界は気がついたわけだ。メッセンジャーなどの機能は残っているが、ホームページでの投稿には誹謗中傷や罵詈雑言に対する厳しいフィルターがかけられていて、今となっては世界政府の広報伝言板になっている。その殆どが医療支援、生活支援、進学相談などである。
墓に着くと水を替え、花を挿し手を合わせる。
顔を上げると、これがいまだに慣れないのだが、墓石に埋め込まれた液晶画面から故人が話しかけてくる。
その内容は生前の故人のデータからAIが導き出したもので、いかにもその本人が言いそうな事をもっともらしく言うのだ。これは慣れない。というか慣れてはいけないと思っている。妻の「元気なの?ちゃんと食べてる?」という問いかけに素っ気なく「ああ」とだけ言う僕に対して、妻が「またそういうそっけない返事して。でも元気そうで良かったわ」なんてことを言いのける。僕はなんともやるせない気分でいつも墓から足早に遠ざかってしまう。
そんな僕を娘は少し不憫そうにみている。
そういえば以前コロナが流行る少し前の時代に、何十年も前に亡くなった国民的歌手をAIで蘇らせ有名な作詞家と作曲家に新曲を書かせてAIで蘇った歌手に歌わせ、もっともらしいセリフを言わせるというプロジェクトがあった。僕はそれを見てかなり不快な思いを抱き、ネットの記事では有名なシンガー・ソングライターが死者への冒涜だと言っていたのを思い出した。僕も同じ思いだ。
人の思いや創作というのはそんな軽い安っぽいものではないと憤慨していたのを思い出す。
「こんなにリアルに話しかけられちゃうと、直美さんが亡くなったなんて思えなくなっちゃうわね。家に帰ったらいつものようにケーキを用意して待っていてくれそう」
娘も心中複雑なのだろう。
「この仕掛けってのはOFFに出来ないものなのかな。僕はやっぱりこの仕掛けに馴染めないな」というと、娘はうん、と頷いて僕の手を取って歩き出した。
二人してなにか淋しげな気分になり、初秋の墓地は色づき始めた銀杏並木が美しく、しばし無言で娘と歩いていた。
ちょっと疲れた僕はベンチに腰掛けて、ジャケットの内ポケットから健康タバコを取り出し、一服した。
娘はすぐ近くの自販機から紅茶を買って来て僕のとなりに座った。
「そういえばお父さん、こないだクリーニングに出した黒のジャケットのポケットにこれ入れたままだったでしょ。クリーニング屋のおばさんがわざわざ届けてくれたわ」
そう言って娘に手渡されたのは、僕が愛用していたドラムのチューニングキーだった。
台湾のメーカーが作っていて、浅草ドラムシティという古い馴染みの店で取り寄せてもらったグリップが黄色いドラムキー。ずっしり重く、大きめなそのキーをドラムのテンションボルトに差し込み、ゆっくり回すとそのかすかな変化が指先に優しく、確実に伝わってくる。

その感触が好きで僕はずっとこのドラムキーを使っている。最初はアメリカのdwというメーカーが出していた同じ形でグリップが黒い「ハイトルク・ドラムキー」というのをずっと使っていたけれど、ある時、海外のブティック・ドラム・メーカーのショップサイトをなんとなく見ていたらこの黄色い愛らしいキーを見つけて、すぐに買い求めたのだった。当時の言葉で言うなら「速攻ポチった」ということである。
その後、この黄色いキーを愛用していた僕だったけど、コロナのせいで仕事は全部止まり、キーを回す機会も随分減っていた。たしか僕の唯一の弟子に一つ贈ったのを思い出した。コロナのおかげで気が滅入っている弟子に「幸せの黄色いドラムキー」と洒落っぽく励ましのつもりで贈ったんだった。彼からは美味しいお茶と喜びの手紙が届いたのを妻と喜んでいたのを思い出す。
その後、黄色いドラムキーが縁起物として仲間内で流行りだしてきたので、ドラムシティにお願いして少しまとまった数を取り寄せてもらった。かなり時間がかかったが、手に入れたものを親しい仲間に配って歩いたこともいい思い出だ。
「さ、お父さん、そろそろ行こうか、寒くなってきたし」
娘の声にまた現実に引き戻される。
心配そうに僕の顔を覗き込む娘に「大丈夫さ、少し思い出に浸っていただけだから。歳を取るとそういうことが多くなるものだね」というと、娘はまた目を丸くして「やだ、お父さん。いつも思い出に浸ってじっと動かないじゃないいつも直美さんやお婆ちゃんと心配していたのよ。じっと動かないで、ほんとに生きてんのかしら?ってw」
カラカラと笑いながら話すその笑顔は三歳のころから何も変わっていない。安心する笑顔だ。つくづく僕は女性に支えられて生きてきたのだと実感する。
最初はもちろん母親、そして祖母や叔母たち、次に妻、二人の妻には感謝している。そして今は娘だ。
車に乗り込むと、夕暮れの郊外をスーッと走り抜け、あっという間に都内に戻ってきた。
どうやら少し眠っていたらしい。
僕が住む施設が見えてきて、車はそのファサードに滑り込むと中から小柄なロボットが出迎えてくる。
「お帰りなさいませ。IDパスをお願いいたします」
僕は手のひらをロボットの顔に向けてかざすと緑のレーザーが僕の手をスキャンして、「はい、ありがとうございます、ID確認できました。お部屋までご案内いたします」
自動ドアが開き、施設の中に入ろうとしたその時、娘が「私はもう帰るからね。
仕事もあるし、また来週来るから元気でいてね。何かあればすぐメッセンジャーで連絡してね」と手を振っていた。僕も笑顔で応えた。
自室に帰り、部屋着に着替え、ソファに座ると電話のことを思い出した。そういえばメッセージが来ていたな。
スマホでメッセンジャーを開くとそこに見慣れた旧知の名があった。本文を開くと一言「来月日本武道館で有人公演を強行する。かつての腕利きな仲間を再結集させて成功させたい。連絡待つ」と書いてあった。僕はスマホをテーブルに置き、大きく深呼吸をした。
(今この時代に有人公演を強行…?何が彼をそこまで動かしたのか?リスクは大きいぞ。さてどうする?断るか?いや、それはできない…ならば今のこの生活を捨てる覚悟で向かうか…)
窓の外にはかつての東京の空では考えられないほどの星空が広がり始めていた。ドアをノックするのは夕食を運んできてくれたロボットと人間の看護士だ。
人間の看護士が「今日は長い時間お出かけされてどうでしたか?お疲れじゃありませんか?体温と脈を測りますね」左手を差し出すと看護士が体温計を手首にあて、ロボットが人差し指から血圧と採血をしていた。
「今夜はたくさん歩かれたようなのでお肉にしましたからね。ご飯もおかわりしてもいいですよ」と微笑んで部屋を出ていく二人組を見送り、僕はまた「有人公演」に思いを馳せる。

かつてオーディエンスが盛り上がったあのLIVEをまた味わえるのかと思うとワクワクが止まらなくなっている自分がいた。これは抑えられそうにない。
テーブルに置いたスマホの横にあった黄色いドラムキーを手に取り、僕はその重さをしばし味わっていた。
~続く…の?~
◇ ◇ ◇
さてさて、皆様ご機嫌いかがですか?
太鼓奇談二回連続の小説モドキでした。いかがでしたでしょうか?今は八月半
ば過ぎ、猛暑酷暑の日々でございます。この号が出る十月には秋の色が濃く
なって過ごしやすい日々になっていることでしょう。
コロナのおかげでギスギスした世の中から少し離れて、本を読んだり音楽を聴
いたりの毎日ですが、相変わらず仕事はほぼ止まったままです。サカナクション
の配信などで少しずつ動き出してはいますが…。
皆様もいろんな状況があるかと存じます。
どうかお体にお気をつけてお過ごしください。
心穏やかに…。
そしてこの小説、続くのか…な?w
ご感想などお聞かせいただけたら幸いです。
それではまた!

■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969年生まれ。11歳の頃YMOの高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO,THE BEATNIKS,etc)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細 野 晴 臣、[Alexandros]、Diggy-MOʼ、ピエール中野、RADWIMPS、宇多田ヒカルなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVALやSUMMER SONICなどの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。 自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。 プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。 蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。
執筆者:土田 ”つっちー” 嘉範
編集:JPC MAG編集部
