つっちーの太鼓奇談
つっちーの「太鼓奇談」第二十回|成長のカギは「気づき」
※この記事は2018年7月発行「JPC 157号」に掲載されたものです。
JPC会報をお読みの皆様、毎度おなじみ太鼓奇談のお時間がやって参りました。
今年ももう早いもので七月ですね。
とは言え、これ書いている時点でまだ五月なので今年の七月がどんな事になって いるか全くわからないままカタカタタイピングしているわけですがw
いつもこの原稿の依頼を受けてから、書き上げるまでには早くて二、三日、遅くても十日というところなのですが、今回は〆切ギリギリでした。
その理由は「書くことが見つからない」ってやつです。
僕は小説家でもないし、エッセイストでも無い。
文筆業に憧れはありますが、文筆家にはなれそうもないです。
ま、早い話が「才能がない」ってことですかねw
一口に「書くことがない」と言っても、情報が溢れかえっているこの世の中、ネタ はいくらでもあるんですよ。きっと。
右見ても左見ても上も下も大騒ぎじゃないですか。
テレビを点ければ連日アチラコチラで不祥事だらけの、ゴシップネタだらけ。
そりゃもう大騒ぎです。
なんだかね、五月蝿くて疲れちゃうんですよね…。
毎日毎日ネガティブなニュースを押し付けられてうんざりするわけですよ。
きっと読者のみなさんも同じように感じていると思うのです。
毎日毎日雨の日も風の日も仕事してただでさえ疲れて帰ってきているのに家に 帰ってきて、やっとこさくつろげると思いリビングのソファに腰掛けて缶ビール片手にテレビを点ければ、明るいニュースなどほんの少しで、気が滅入る様なことばかり。それでもなんとなくテレビはつけっぱなし。
これ、知らないうちに相当なストレスだと思うのです。
実際僕は家に一人でいる時はほとんどテレビ点けてません。
たまにNETFLIXなんかで映画観たりするくらいですね。
そう言えば最近音楽もあまり聴かないかも…。
勿論最新のいい音楽はチェックしているし、過去の素晴らしい音楽を好んで聴 いている時間はあるのですが、四六時中音楽を流していた数年前と比べると随 分静かな暮らしになったと思います。
その分、本は読みますね。昔読んだ好きな本を読み返したり、近所に散歩行った 時に見つけた面白そうな本を手にとって読んでみたり。
静かな時間、とても心地よいひとときです。
外での出来事が全く別の世界のことのように感じてしまいます。 別の世界のことではないのですけどね…。
全てにおいて過剰な現代で、音楽を生業としている僕らは、どこ吹く風なように 見えますが、実はそうでもなくて、むしろその過剰な空気がより濃密になって狭 い業界に重く漂っているような気がしています。
技術の発達は僕らの生活や文化に清濁合わせた影響をもたらしますよね。
分析と研究が僕ら楽器テクニシャンの大事な仕事の一つですが、これも偏りすぎ ると大事なことをあっという間に忘れてしまうことになりかねません。僕らにとって大事なこと、それは「音楽」そのものですね。あたりまえですが。
僕は分析と研究から得るものは「合理的な仕事」だと思っています。パッと求め られたサウンドを引き出す。それに尽きます。現場で与えられた未知の課題に対 してあーだのこーだの悩むことは誰でもありますが、解決済みのことに関してグズグズする必要はまったくないわけで。
どんな仕事でも言えることですね。わかっていることならパッとやれという話。
ところがパッとやらない人も中にはいるわけで、そういう人を客観的に観ていると面白いことが分かるんですね。
そういう人って「結果の先」を考えているんじゃないかな?って思うのです。安直に目の前の結果を捕まえてポイッと差し出すことは簡単ですが、その結果が果たして音楽にとって幸せな結果なのか?プレイヤーと聴衆の皆さんにとって、ハッピーな時間を共有するお手伝いになっているか?
実は僕も仕事の時はそんなことを考えてやっています。
周りの人から見れば、「このヒトほんとにわかってんのかな?」的な目で見られて いる感じも凄くわかります。
でも、僕から言わせると「おいおいおい、ちょっと待って。ホントにそれでイイの かい?」ってなことに視えるんですね。
「あ、それはそのままでいいから」なんて言われても、内心(いやいやwこのまま じゃダメでしょ、せっかくのサウンド聴こえないよ…)と思い、スキを見てササっと手を入れて何事もなかったように本番を迎える。
本番が終わってそこに気がつく人はほとんどいません。
音響エンジニアは気づく人多いですけどw
ナゼ気が付かないか、要は「見えてない」んですよ。
見えてないものは知り様がない。実に単純明快な理屈です。
見えてない人が見えるようになるためにはどうすればいいか、それは僕ら他人が なんとか出来ることではなさそうです。
色々話したりしてなんとか見えてほしいなぁと働きかけるのですが、「気づいていない」人には見えないってのが、どうやら大方の意見として一致してきます。
なんだか大層な話に聞こえますが、ほんの小さなことなんです。ケーブル一本這 わせるのにも、その「気づき」がある人とない人は歴然と違います。
何がどう違うかって?そうですね、最初の話に戻りますが、気づきがない人が這 わせたケーブル一本はそのケーブルが「五月蝿く」感じるんですよ。なんてこと無 いケーブル一本が凄く邪魔に感じる。ちゃんと気づいている、判ってるひとが ケーブルを這わせると、そこにケーブルがあることすらわからないんです。自然なんですね。
僕らの仕事場であるステージは実際めちゃくちゃいろんなものが置かれて、縦横無尽にケーブルが張り巡らされています。お客様から見える部分は徹底的にクリーンにしてありますが、一歩裏に回るとそこは工事現場みたいな感じです。
そこで見えるのが「気づき」なんですね。
雑な様でいて、実は凄く的を得ていてバラシのことまで考えられている様な仕事 を見ると嬉しくなるものです。
「いや、これは参った。流石だね!」なんて言いながらみんなで盛り上がることもしばしば。
そういうのってホントさりげなく存在するので、ワタワタ追われていると見えにくいんです。
なにせ無駄な「自己主張」がないのですから。 五月蝿くないんです。これほんと大事なことです。 ドラムのチューニングにも言えることだとおもうんですよね。耳障りか心地よいかって話。
とあるレコーディングに行った時のお話ですが、僕はその仕事はトラでした。要 は本当は違うヒトが行くはずだったのですが、その人が別件の仕事で行けないの で僕が代わりに行く、「代打」ですね。それを業界ではエキストラを省略して「トラ」というわけです。で、そのトラ現場でドラムセットを組みあらかたチューニングしてアーティストの到着をドラマーと待ち、いよいよレコーディングという時に サウンド・メイキングのことで言われたのが「耳障りな音にして下さい」と言う オーダーでした。なるほどそう来たかとw
耳障りな音が嫌いな僕にそれを言うかと一人内心ウケていましたが、「わかりまし た」とブースに戻りドラムキーを手に一呼吸…要は僕の好みと真反対のことをやればいいわけで、笑っちゃうくらい硬くてヒステリックなサウンドをチューニングしてコントロール・ルームに戻ってきました。
ドラマーがプレイするその曲のフレーズはどれも難しくテンポも早く展開も多い難曲でしたが、メロディーラインはわかりやすく、昨今のアニソンのような曲でした。
そのプレイバックを聴きながら、「なるほどなぁ、こういうタイプの曲にはこういうサウンド、しっくり来るよねぇ」と一人納得して、エンジニアさんもアーティストさんも、とても喜んでくれてめでたしめでたしと相成ったわけですが、そこでも僕は一つ「気づき」を頂けたわけですね。
「うるさいことも必要とする場が必ずある」と。
頭ごなしに否定してはだめだと。と、なると気になるのは、僕が今まで聴かず嫌 いだった音楽たちのことだったりします。この二、三年密かに続いていたマイ・ ブームが、「自分の嫌いな音楽を聴く」ということでした。
しかし、それも「気づき」を得てから聴くと不思議な事に、嫌いじゃないんですね。
ヘヴィ・メタルだって、カッコいいと思えるようになり、聴けるようになりました。
(僕が嫌いだったのは80年代ヘビメタのファッションだったと言う先輩の指摘に は大笑いしましたがw)
ネイティブ・インディアンの言葉に「大切な事は小さな声で語られる」と言う名があります。
ペルーの原住民の草笛はごく小さな音量で奏でられます。
それはその音楽が「自分のために」奏でられる音楽だから。
自分が聴きたい音楽を自分で奏でる。だから自分が聴こえるだけの音量で充分。
なんかステキですよね。
ペルーの高原で一人岩場に座ってそこら辺の草を摘み、口に挟んで音楽を奏で る。目の前には壮大な自然の風景。
遠くには街が視える。きっと僕なんかその場に行ったら高山病でヘロヘロになっ てしまうでしょうけどw
僕が今住んでいる都内のマンションは僕の生まれ年の1969年に建てられた古び たオンボロですが、都会のど真ん中な割にはとても静かで、濃い飴色に変色した 旧い柱やら欄間に囲まれて暮らしていると時間が止ったように感じます。
ココでテレビも点けず音楽もかけずにただ窓を開けて、リビングのオンボロソ ファーに座っていると、その環境がすでに音楽的に聴こえてしまいます。ベラン ダの目の前にある電柱に巣を作っている鳥たちの声にバイクの音、近所の人の 話し声、ココは古い街なのですが、時折飲食店の新装開店でチンドン屋が通る ことがあります。そんな時は慌てて外に飛び出して観に行ったり…お気楽な暮ら しぶりに見えちゃいますね。全くそんなことはないのですが。今年は一月から四月 までホントに仕事がなくてこりゃあかんと、バイトしていたくらいですからw
そのバイト生活もとても面白かったのですよ。自分が知らない世界にぽいっと 入っていく。これはものすごい刺激です。
なにせ朝出てその日の夕方に帰ってくる事ができる。
これはホントにカルチャーショックでした。
まだ日があるうちに帰路についちゃうと、ヨコシマな気持ちが出てきます。しかもバイトは日払い。ポケットにはおっさん独りで呑むには充分すぎるほどのお足が入っているわけで…自宅最寄りの駅に降り立つと、自宅とは反対方向に自然と足 が向いて、気がつくと居酒屋のカウンターに座っていて黒ホッピー強炭酸が目の 前に置かれてたりするわけです。マコトにオソロシいw やっぱり労働の後の一杯ってえのは格別なものですね。
しかもまだ夕方と来たもんだ。時間は売るほどあるわけで。
ツアーでの日々は仕事が終わるともう夜も十一時だったりします。そうなると呑むと言うよりは次の日に備えて休むほうが優先されます。バイトしていた今年のアタマはそんなことも考えずに仕事帰りにちょいと一杯ってのがたくさんできて楽しかったです。居酒屋は勤め人で大賑わいでしたが、それは不思議と五月蝿くないんです。心地よいくらい。
やっぱりあれですかね。生身の人間同士、ココロのあるコミュニケーションは五 月蝿くないんですよ。
権力にしがみつき利権と自己保身のためだけに息を吐く様に嘘を重ねる奴らの事 は五月蝿くて仕方ない。
それも奴らの手かもしれません。僕らにウルサイと思わせておいて無関心にさせ ておいて、どんどん裏で何かを進めていく…そのうち僕のこんなヨタ話も書けな くなる時代がすぐそこまで来ているのかもしれません…。
公安に僕がしょっぴかれたらきっと西尾さんが花屋の焼きそばを持って面会に来 てくれるはずです…よねw
さて、今回もくだらないヨタ話にお付き合い下さりありがとうございました。ついてはこの世の中が少しでも穏やかにお気楽で道楽がまかり通る世になってほしい なぁと思い、毎度血を吐く思いでヨタ話 を書いて…いや、血なんか吐いちゃいません。ただの二日酔いですきっとw
五月に38度線を越えたお隣さん達は七月の今、どうなっているのかを想像しな がら、今回の太鼓奇談はお開きとさせて 頂きます。世界中、もっと仲良くなれば いいなとほんとに思う、つっちー 49歳で した。
皆様の毎日が健やかで平和で愛に溢れ た日々になりますように…。
■つちだ“つっちー”よしのり プロフィール
1969 年生まれ。11 歳の頃YMO の高橋幸宏に衝撃を受けドラムを始める。現在はフリーのドラムテック&ローディーとして矢沢永吉、高橋幸宏(METAFIVE,YMO)、松本隆(はっぴぃえんど)、林立夫(Tin Pan)、細野晴臣、[Alexandros]、Diggy-MO'、LITE、
星野源、ピエール中野、RADWIMPSなどのツアーやレコーディング、FUJIROCK FESTIVAL やSUMMER SONIC などの、夏フェスでのステージクルーとしてウロウロしている。
自身のバンド254soulfoodでは定期的にLIVEを行っている。
プレイヤーとしての参加作品はHARRY「BOTTLE UP AND GO」本園太郎「R135 DRAFT」「torch」など。
蕎麦と落語と読書に酒、煙草好きの堅太り。