世界の打楽器部屋から
世界の打楽器部屋から Vol.12|ドイツ ・カールスルーエ 南真一
世界各国で活動されている日本人のみなさんを「打楽器」というキーワードで、それぞれの生活スタイルや現地の情報など、その土地目線でレポートしてもらう紀行シリーズ第12回目。
今回は渡独10周年を迎え、現地で大活躍されている南真一氏に寄稿していただきました。
※この記事は2020年4月10日発行「JPC 164号」に掲載されたものです。
現地情報
- 国:ドイツ
- 地域:バーデン・ヴュルテンベルク州 / カールスルーエ
- 日本との時差:8時間(サマータイム時7 時間)
- 生活言語:ドイツ語
◇ ◇ ◇
この度は、この様な機会を下さり有難うございます。
在独邦人の1人として個人的な視点での話になり恐縮ですがお読み頂けましたら幸いです。また、今年在独10年目を迎えるにあたり、これまでご指導下さった先生方、また支えてくださった方々にこの場をお借りして改めまして感謝を申し上げます。
●なぜドイツへ?
まず、西洋の伝統音楽のみならず現代音楽にも比重を置き、ドイツ国内において様々な現代音楽祭・講習会が開催され新作初演が豊富に行われていることが私の興味を惹きつけました。また昭和音楽大学の修士課程に在籍中、カールスルーエ音楽大学教授・中村功先生のマスタークラスを聴講する機会がありました。この時、私の理想とする音楽を功先生のマスタークラスの中で共感・発見することが出来、先生の下で現代音楽を学びたいと留学を決意しました。
●ドイツでの学生生活
渡独当初、はっきり言って右も左も分からない赤子状態でした。というのも、私の語学力はドイツでの学生生活の始まる前2 ヶ月間にフライブルクという街で勉強した程度。
困りましたね。ドイツへ先に留学していた友人や現地で知り合った方にいつも助けて頂いていました。学生生活がスタートして以降私は積極的にドイツ人と行動を共にしてドイツ語を話す様にしました。その甲斐あってか徐々に言葉の壁は薄くなっていきました。また普段の生活でもお気に入りのカフェで譜読みしたり、散歩したりと積極的に街の中へ繰り出していきました。何故なら見るもの全てが新鮮であり、このカールスルーエの人々がどう日々の時間を過ごしているのかにも興味があったからです。見ることができる・感じ取ることができるもの全てを味わいたいと。
「留学というものは練習とレッスンだけではない。現地の人と同じ食べ物を食べてその国の言葉を話しなさい。染まれる限り染まってみなさい。そこからその国の文化・伝統・風習の一端を知ることであなた自身の音楽へと結実させることができる」
渡独前ある方に言われたこの言葉を実践しました。
カールスルーエ音楽大学にはソリスト課程として2010年から2年間、その後2012年に新設された現代音楽修士課程1期生として2年間と合計4年間在籍しました。学生期間中、様々なコンクールやコンサート・音楽祭に参加しました。私が初めて参加したコンクールはドイツ北部の街・リューベックで開催されたドイツ音楽大学コンクール。名前の通りドイツ国内の各音楽大学から打楽器専攻生が参加し競い合うものです。まず驚いたのは、コンクール参加者各々にスタッフがつき運搬・セッティングをお手伝いして下さった事。このスタッフのおかげで演奏に集中する事ができたのは間違いありません。またこのコンクール本選時の珍事件。私の出番前の奏者が暗譜で演奏を始めましたが開始30秒ほどで沈黙。「すみませーん、暗譜飛んじゃったのでもう一度最初から弾き直しますね!」と審査員も笑い和やかな雰囲気の中で再スタートしたのを鮮明に覚えています。演奏はもちろん素晴らしく、彼とは後にこの事について笑い話をしました。とても優秀で尊敬する打楽器奏者の1人です。
私が参加・聴講した数ある音楽祭や講習会の中でダルムシュタット夏季現代音楽講習会は刺激的な2週間でした。2週間現代音楽ずくめ、朝から晩までリハーサル・講習会と続き夜は演奏会。ここでも個性あふれる作曲家や作品、また素晴らしい演奏家達に出会いました。弓で延々と譜面台を擦る作品、風船やキッチン用品を用いた4重奏等、例を挙げればきりがありません。
ここで特に印象に残っているのは、ある作曲家が自作曲の打楽器6重奏(ピアノ含む)のために特殊な四角柱の形状をしたクラベスを自ら6人分製作し、それらを用いて演奏した事。クラベス同士を擦りあって音を出すためにギロのような刻みがあり、また打ち合う場所で音程が大幅に変化するよう作られていました。練習は勿論苦戦しましたが、作曲家立会いのリハーサルはかけがえのない時間でした。この濃密な2週間で現代音楽における打楽器の担う役割や可能性を再考させられました。学生生活中、興味津々にアクティブに行動していたら4年間なんてあっという間に過ぎていきましたが、すっかりドイツの虜になった私はドイツに残るべくフリーランスとして活動する事に決めました。
●ドイツ人は職人気質!?
さて、私の知る狭い範囲内の打楽器奏者達でも自身で楽器を製作する人が沢山います。和太鼓のような太鼓を製作する人、スネアドラムを製作する人、ウッドブロックや有りとあらゆる小物から貝殻のチャイムまで何でも製作する人。ドラムセット1式を担いで持っていけるようは上手くバラせるように製作した人。はたまた作曲家ハリー・パーチの考案した独創的な楽器を全て再現して製作してしまう人。しかも彼らの製作した楽器は全てトップクオリティ。ドイツに来て驚いた事の一つですね。話は少し逸れてしまいますが、これは打楽器奏者に限ったことではありません。私が打楽器を教えている生徒の親達(勿論全員ではありませんが)も趣味の範囲内で小さな照明器具から大きなものだとキャンピングカーまで自分たちで製作しています。主語が大きくなってしまいますが、このような国民性からKolberg社のような会社が生まれることも納得しています。
●フリーランスとして
先に少し触れましたが、2014年カールスルーエ音大を修了して以降、私は音楽学校(日本でいう音楽教室)にて子供達に打楽器を教えつつ、フリーランスの打楽器奏者として活動しています。音楽学校では4歳から18歳という幅広い年齢の子供達に教えています。ドイツには部活動や塾はない(厳密に言うと似たようなものはあるが参加自由)ので、生徒達は放課後に音楽学校で楽器を習ったり、地域のサッカークラブに参加したり、空手を習ったり多種多様に活動しています。学生時代から音楽学校の仕事を始めているので、1番長く教えている生徒は8年目ですね。生徒の楽器面での成長は勿論嬉しいですがそれに関わらず、彼らの人生に打楽器が加わることの一端を担っていることが嬉しいですしやり甲斐も感じています。
さて、フリーランスの活動は様々です。一般企業やイベントでの演奏、ソプラノ歌手と結成した室内楽グループでの演奏。吹奏楽や室内オーケストラのソリストとして新曲初演させて頂いたことも。はたまたここ数年新たにお誘い頂いている無声映画の伴奏。ずっとお付き合いさせて頂いている合唱団との演奏会等。まさに『何でも屋』とでもいいましょうか。フリーランスとなり6年が経ち落ち着いてきた頃といいましょうか。
これまでに出会った全ての方々の御蔭で現在のドイツでの基盤が出来上がっています。そのことを心に留め、また感謝の念を忘れずこれからもドイツで活動していく次第です。
南 真一 プロフィール
昭和音楽大学を経て、昭和音楽大学大学院修士課程修了。
第6回北陸新人登竜門コンサートオーディション合格。井上道義指揮オーケストラ・ アンサンブル金沢とマリンバ協奏曲を共演。その後もオーケストラ・アンサンブル金沢とマリンバ協奏曲にて共演を重ねる。
2010 年10月よりドイツ学術交流会(DAAD)給費留学生としてドイツ・カールスルーエ音楽大学に留学、2012 年同大学州立演奏家資格を最優秀の成績で修了。その後、同大学に新設された現代音楽・演奏解釈課程に入学、2014 年同課程を最優秀の成績で修了。
2011年1月、バーデン文化財団主催音楽コンクールにて第1位及びライナー・コッホ記念特別賞を受賞し奨学金を授与される。同年5月、第59回ドイツ音楽大学コンクールにて第2 位、受賞コンサートに出演。同年8月、昭和音楽大学・下八川圭祐基金を得る。同年10月、カールスルーエ市に在籍する大学生から選抜される『カールスルーエ賞』を受賞し同市より奨学金を授与される。
2012 年、ハインリッヒ・ヘルツ協会カールスルーエ支部より奨学金を授与される。
2013 年、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ/ドイツ音楽大学コンクールにて第3位。
これまでに打楽器及びマリンバを中村功、目黒一則、小森邦彦、新谷祥子、小島光、 ヨヘン・ブレンナー(南西ドイツ放送交響楽団ティンパニ奏者)、トーマス・ヘフス(シュトゥットガルト州立歌劇場打楽器奏者)の各氏に師事。
また菅原淳、神谷百子、ペーター・ザドロ、スベット・ストヤノフ、ペドロ・カルネイロ、クリスティアン・ディアシュタイン、アルノルド・マリニーセン、ウィリアム・カーン各氏のマスタークラスを受講。